春と修羅(3)。

宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い

芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した

宮澤賢治『農民芸術概論綱要』(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html

世界→作品←鑑賞者

大雑把に書くと、西洋近代の芸術作品の解釈は上のような図式をとることになる。世界からある一面を切り取り、作品に起こすには、「技術(アート)」が必要となり、「芸術家=アーティスト」という概念が誕生した。

芸術作品という考え方が誕生した時点(大体ルネサンス期)では、宗教との兼ね合いもあり、広く「人間と世界の関係性を表象する」という概念で芸術作品は捉えられるようになった。そして、そのうちに、芸術作品がロマン主義思想と結びつくようになると、「作品は世界と個人との関係性を表象するものだ」という価値観が生まれる。広く「人間」と定義されていたものが「作家」という個人に置き換わることにより、「作家性」というものが脚光を浴び、物語化されることになる。

このような西洋近代的な考え方が日本に輸入されたのは明治以降。藝術、という造語が誕生し、近代化の中でそれを日本的なものと調和させようとする動きが生まれる。文学の世界においては、「自然主義」というカタチで「一人称としての作家」を体現しようとする思潮が誕生する。その流れについては詳しくは文学史大塚英志の本でも読んで下せい。

話を宮澤賢治に戻そう。例えば賢治のテキストを読もうとするとき、先ず「宮澤賢治」という一人称に目が行きやすいのはこの西洋近代芸術的な価値観が僕らの前提としてあるためだ。そして、その一人称の視点から「作品」を解体し、解釈しようとする。大抵の場合、着目するのは、「賢治はいかに世界と自己との関係性(大体は調和・対立という2項をツールにして推し量られる)を作品に表したか」である。

大体の「作家」のテキストについては、こういう解釈はうまくいく。「作家」が強くその「世界と自己の関係性の表出」という価値観を意識して作品をつくっているケースが多いからだ。元々芸術って長い歴史の中でそゆものであり続けたから必然的にそうなるよう刷り込まれてるんである。ところがこうゆう解釈がうまくいかないケースも出てくる。

それが「ある作品において<世界と自己との関係性>が意識されてない場合」、或いは「世界―自己という対立軸ではなく、もっと別の前提で以って作品がつくられた場合」だと思われる。後者は前者を内包し、前者は後者を含む必要はない。前者においては「匿名を前提につくられた作品」というのが例としてあげあれる。例えば、明治以前、職人として扱われた人々がつくった東洋美術の作品群がこれに当たると考えられる。名前がないのだから、強調すべき「自己」というのはそこに存在しえない。けど例えば、岡倉天心なんかは、これら東洋美術の作品を西洋的芸術概念との対立から守るために、思想を展開した。(結果、美学校長の職を追われた。)

じゃぁ後者はどんなケースかと言うと、「大衆娯楽として扱われてた作品」「商業的につくられた作品」「極めて私的につくられたものであった作品」等など色々考えられると思う。で、ザクっと思いつく感じでは、宮澤賢治の「作品」なんかは、殆どが「極めて私的につくられたものであった作品」に該当すると思ってる。帳面の走り書きから「闘病し苦悩する詩人宮澤賢治による力強い作品」というイメージをまとい1作品として物語化されてった「雨ニモマケズ」なんかはその典型。あれは極私的な願望のスケッチであって、世界との対立なんて大それたことはテーマにはしていないと思うし、ましてそれを多くのひとに伝えたいという「作家」としての意識は皆無に等しいと思う。それはただただ、「優れたスケッチ」なのだ。優れているからこそ物語化されたけど、あくまで「スケッチ」だってことを忘れてはいけないと思う。

そう考える根拠は、やはり『農民芸術概論綱要』(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html)にあると思う。この中にあるフレーズは『春と修羅』を含む数々の宮澤賢治「作品」の中に通底していると思う。そして重要なのは、ここで賢治がはっきりと、上に挙げたような西洋近代的芸術観を否定していることである。しかも自身が拠り所としたとされる「宗教」すらも「芸術」と共に否定の対象としている。それが冒頭に挙げたことば。

そういうものを「堕落した」と否定し、じゃぁどうするべきかというと、「自分らで正しい道を行き、美しいものを見つければいいじゃん」ていう感じで彼は述べている。その美の拠り所して「宇宙」「銀河」「力」「熱」というフレーズを彼は挙げている。これを大雑把に「世界」と括るひともいるけど、それは断じて違うと思う。「世界」というのは近代的な「個人」を規定するものであり、支配するものである。むしろ賢治はこの思想でもって、この規定・支配から芸術を解放しようとしている。乱暴に言うと、ロマン主義に対し、別のロマンチシズムをぶつけて、ぶったぎろうとしているのだ。

……。……。

とまぁ、ここまで長々と書いて、ひとつの仮説を唱えるなら、賢治は「世界と自己との調和・対立」なんざ最初から描こうともしなかったのだ。とそんな気がするのだ。じゃぁ何を描こうとしたか。ヒントとなるのはやはりこの思想と、テキスト自身、ということになる。美学の観点から芸術作品を観る際何が最重要か。木下センセの言を借りてシンプルにいえば、作者が作品に何をどう描いたか、である。

「詞は詩であり」とやはり賢治は説いている。彼にしてみれば、世界どうこうよりも、彼の発したことばこそが既に「芸術」なのだ。余計な色眼鏡はかけず、ことばそのものを見なくてはいけない。そうやって『春と修羅』を読めば、もう少し何かつかめるかもしれない。あえて「世界観」ということばを用いるなら、彼のこの思想そのものが彼にとっての「世界」なのであり、それは彼のことばそのものである以上対立もへったくれもないのだ。

とかなんとか、前置きが長くなったけど、続きはたぶんある。他人のことばでなく、自分のことばで考えようとする努力が先ずは必要だ。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB(表向きの「宮澤賢治像」に近い記述)

http://www.horagai.com/www/who/62miyaz1.htm(文芸評論家 加藤弘一氏によるプロフィール)

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%d5%a4%c8%bd%a4%cd%e5はてなキーワード。結構詳しい。)

http://www.city.hanamaki.iwate.jp/main/kenji/nenpu.html石巻市監修の宮澤賢治年譜)