夢想家のような未来は今。

や、昨日の文章は、別段ピロウズの新譜を語るためにどうこう考えて書いた文章ではなく、勝手に出てきた文章がなんとなくアルバムのイメージに連環しそうだったからそうしてみただけなのだけども。最初のきっかけは「君の夢を見たんだ」というコンタクトのアルバムの題名の意味をふと考えてしまったことから始まってる。「君を夢で」じゃなくて「君の夢を」。たったふたつの助詞の差異の醸し出す艶やかな抽象性に気付けなかった自分はなんなんだろう全く、て感じだ。

それをなんとなく本多孝好風にアレンジしてみた。これは完全に文体模写だ。それに幾つかの断片を加えてなんとなく書き終えてみた。昔、『夢』ていう文章書いたことあるけど、あれとは基本的に異質という気がする。大学2年か3年のときに書いたんだから、そら描く夢も観る夢も、適えたい夢も変わるだろう。そういうものだ。


僕が『GOOD DREAMS』-the pillows に感じたのは、現状への達観と、それでも歌い続けるという動機に裏づけされた何処か惰性的な何かだった。その動機の強さゆえに、クオリティは高いのだけど、何処かひっかかって、名盤だと褒めちぎれない自分がここにいる。後味の悪い夢じゃない。だけども幸せな夢でも仕合せの夢でもない。ロマンチックなリリックも、何処か醒めた旋律に載ったとき、見える風景は何処か屈折した色彩だったりする。巧く言えないのだけども、少なくとも手放しに「好きだ!」とは言い切れない。かと言って嫌いになるはずもない音なんだ。なんだろうな。言語化するの難しいのだけども。

ピロウズのヴォーカル山中さわおが何かのインタビューで「詩は音に乗るモノであって、詩だけをもって曲を解釈して欲しくない。」みたいなことを言ってた。それに即するなら、ロマンチックなリリックを淡々と低いキーで歌うとか、やはり淡々としたギターリフに乗せるとか、ポップな進行に緊張感のあるギターフレーズ(テンション?)を加えてたりだとか、サビが主音に帰らないとか、そういうシンプルなロマンチシズムのカタルシスとはまた異なる一種の矛盾がこのアルバムの根底にある気がする。そして、その矛盾こそが、このアルバムの核であり、魅力だったりするんだ。夢てのは元来、矛盾したものだ。矛盾しない人間の無意識なんて、何処にもない。たぶん。

そう、何処か「醒めてる」んだよ。彼らは夢を観つつ、それでも醒めてる。そういう矛盾。螺旋階段昇ってたら意識は昇ってるのだけど何時の間に下りになってるとかそんな感じ。けどそれは足を運んでる身としてみれば、「昇り続けてる」という動機がある以上、決してマイナスなことではなかったりする。醒めてようが何だろうが未来を夢みれば夢は今あるのだという強い意志の宣言。フラジリティあふれるフレーズが続くけど、その実はとても力強い。逆に力強いフレーズにフラジリティが溢れてる。その矛盾を支える意志。音を鳴らす必然性。これは"The Music Magazine"が言うような、ロックという病でもなんでもなく、ロックという自然体なのだ。なんて書いてみたりして。


因みに、個人的には「Walkin' on the Spiral」をシングルに切って欲しかった。好きなんよこの曲。パイロットシングルとなった「その未来は今」はアルバムの真ん中にぽんとあって丁度心地良い曲、て感じがする。なんとなく。