をめぐる論考。

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=95347&pg=200306
(top頁/http://www.enpitu.ne.jp/usr9/95347/diary.html

おー。2003年06月18日付記事。Googlecgiやにっきサービス系も拾うようになった影響か、こんなモノをようやく見つけてしまいました。『J-POP[リパック!]白書』を書かれたライターさん、オタニユキノリ氏による拙論文への反響です。拙論文へは、ありがたいことに、様々な引用元ライターやセンセイから反響を頂きましたが、ある意味、反応が欲しかったライターさんのうちの御一人であります@含み笑い。つかけっここゆ率直な反響は嬉しい。そんなこんなで、1年4ヶ月越しに、ちょっと淡々とレスポンスを返してみますよ。

なんだ、批判かよ!ま、たった30日で作った本、どう批判されても仕方が無いんだけどさ(苦笑)。

……3……30日っ!

というのはさて置き、先ず申上げておきますが、氏が引用されているこの文面には、「批判」のイトはございません。むしろ30日であれだけのデータベースを造り上げたことを知り、驚き改めて敬意を表しております。ただ、なんて言うか、便利に使わせて頂いたというかなんというか、そゆ点はイナメナイのですな。すれ違いはしょうがない。正直、第1章て執筆の最後の最後にとりかかって、第1稿をベ師に却下され、巧い書き出しが思い付かなかったのと、締め切り迫ってとっとと片してしまいたかったのとで、ことば足らずになってしまった感はあるのですね。つか、その前に65000字くらい書いてへとへとでした。勘弁して下さいー……。へろへろ。

ただ、この本を読んだとき、<パクリ>という文化に対するリテラシーが無い方々、つまり<パクリ=盗作>という思い込みに走りがちな方々がどう読むか、てのがちと気になったのですな。オタニ氏のイトがそのような読者層に伝わるか、と言ったら、それは微妙な気がしたんです。で、結局この本は、レイアウトや見せ方の問題として「似てる/似てない」という価値判断のみを読者に与えかねない、と。それが僕が『J-POP[リパック!]白書』を引合いに出した理由です。結局、この本て、パクリ糾弾派の人達に誤読され、データベース的に便利に使われてしまうだけでないのかなぁ……と。

勿論、著者がそのようなイトで書いてないことは読み通せばよく伝わります。ひとことでザクっと誤解を恐れて言うなら、パクリへのアイ。そして、パクリ=ネガティブというイメージの払拭。そのために「re-pack」という概念を持ち出した。その上での、盗作だなんだと騒がないで、パクろうがそうでなかろうが良い曲は良い、てそれで良いじゃん、ていうオリジナル神話へ疑義を挟む価値観の提示。ポスト渋谷系な価値観と申しますかなんと申しますか。

その辺りのイトに実は僕は、かなり共感しております。実はこの論文のタタキになるべき書かれた、2002年度前期提出のゼミへの研究報告レポートでは、『J-POP[リパック!]白書』のまえがきを引用させて頂いたのですよ。最早レポートですらないので晒すのが、かなり恥ずかしい文章ですが、オタニ氏への敬意を込めて、http://d.hatena.ne.jp/assa/20020801にて掲載させて頂きます。何処かに酔狂なid:assaマニアがいらっしゃいましたら、これけっこレアな文章ですぜ(いや、いないて)。

そんなこんなで、まとめに入りますと、こういう元ネタ本が作者のイトも伝わらず、パクリ糾弾の道具に使われてしまったら哀しいよね?と。つまりはそんなところでしょうか。あえてオタニ氏が回避した「引用」「パロディ」「サンプリング」という区分を、論文でしつこいくらいに偏執的なまでに分節化してるのはそういう感情の裏返しでもあります。あえて論文というフォーマットを利用して、自分の主観と理屈で以ってそれを語りたかった。渋谷系ということばも死んだ今、パクリという概念をいっしょくたにするのではなく、誰かが整理する必要性があったと思うんです。そしてパクリ糾弾と過剰なオリジナル神話をねじ伏せたかった。サンプルを減らして理屈を増やしたのはそんな理由からです。そもそもサンプルは大量にネット上や書店に「元ネタ本/データベース」として大量に流布してますし。今更僕如きが並びたてることもないでしょう、という。そんな感じです。

余談ですが、「音楽漂流」という比喩、ほんと大好きです。いじめるだなんて、とんでも御座いません。今後のご活躍、心よりお祈り申上げます。as 拝。