証言スクラップ。

以下研究メモがてら。無断転載お許し下さい。何時か必ず研究として使いますのでスクラップさせてください。必ず。きっと。たぶん。

http://www.quruli.net/diary/kd_main.html

の11月4日記事。使える素材見つけましたぜまたひとつ。こゆパクリへの価値観についての発言を堂々と音楽の送り手サイドが言うことてなんだかんだ稀だからね。特に僕の好きな音楽屋が。半ば確信犯的に。

PLUTO」にいたっては手塚作品のリメイク、というよりは拡大解釈の意味合いの強い再構築である。にもかかわらず、今現在の浦沢作品として堂々と通用するのは、80年代にヒップ・ホップが市民権を得たことを想起させる。つまり、サンプリングという手法が、いわゆるパクリではなく、非常にクリエイティブな創作手法になったっちゅうことです。

岸田繁にっき11月4日付より。

余談だけども、PLUTOは読もう読もうと思いつつ読めてないんだよなー。これは必読だという確信はあるのだけども。なんだかんだ、僕にとってのマンガ観は最初、まんが日本の歴史と手塚治虫で構成されたのであります。僕のマンガ観の根っこの部分。浦沢がどう料理してるのかはかなり楽しみだ。

ジミー・ペイジのギターリフをそのまんまコピーしても仕方がない。でも、その素晴らしいリフは色褪せることのない宝物のようなものやから、その後の音楽の糧にしていくことは、音楽にとってすごくいいことである。」

岸田繁にっき11月4日付より。

引用の引用。にしても、そうこれぞまさしく「サウンド・オブ・マイ・ジェネレーション」の思想そのものじゃないか。そいや、鹿野さんづてに読んだ話やけど、スパイラルライフのめがねがこう言ってたらしい(以下略)


とかなんとか。やばいよモノカキ。負けてられへんし。いやマジで。