CD交換サービスの停止問題(これってAPIの本質?)。

登録するだけしておいたCD物々交換サービスdiglog(http://dig-log.jp/)から、サービス停止しますというメールがやってきた。一言で言うと、ユーザーが持ってるCDのリストを登録してCDの交換をオンラインでやってもらい、交換が成約したら手数料をdiglogがほんの少しもらう、そういういかにも2.0なサービスだ。前から閉鎖の回避を検討する旨のメールはきていたけど、ついに「閉鎖」。「一時閉鎖」と書いてあるけど、復活までの道のりは険しかろう。

原因は、AmazonがCD交換サービスへのAmazon ECS、つまりAPI提供を打ち切ったため。一番客観的なのは、毎日の記事かな。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071020k0000e040058000c.html

この製品データってのは、CD情報を登録させるサービスにとっては核の部分。これがないとどうにもならない。かといって、Amazonのようにフリーでつかえるようにしているところは(少なくともその規模では)他にないし、まさか1枚1枚自分で手入力するわけにもいかない。打ち切られた側としては、お手上げ状態であろう。

何が良いとか悪いとかどうとかという判断は保留するとして、APIっていうものの本質が見えた1件だな、とつくづく思う。APIWeb2.0を象徴する、非常に民主的なモノとして脚光を浴びてたけど、裏をかえしてみれば、民主主義は民主主義でも、非常に資本主義の原理に忠実な存在だってこと。提供側が「やーめた」っていえばもう提供は受けられないし、そこに依存したサービスは一斉に淘汰されることになる。また、この「やーめた」の理由が「ビジネス上のメリットがない」っていう点であろうことがまたイヤらしい。

オープン化だのなんだのときれいごといったって、APIをやる目的は銭なんである。たとえばこれ、新興ビジネスでなくて、割と大規模化してきた、もう畳めないビジネスにおいておきたらどうなるか。Amazonがそこからカネをとると言った瞬間、依存してる企業から大量の銭がAmazon(や代替のサービス)に流入することになる。そのサービスが独占だったらもう言い値を払わざるをえないわけだ。

けど深刻なのは「Amazonだって営利企業だからある種起こりうる、起きても当然のこと」という意識がAPIを使うユーザー(今回の場合はdiglogなど)にわきづらい点じゃなかろか。感情を切り離してロジックだけで考えれば、Amazonが悪者になる道理は、僕はないと思う。気まぐれでAPI提供停止しようがそんなのは提供元のAmazonの勝手だ。問題は、そこに依存した企業の、ビジネスモデルの甘さの方だろう。蛇口をひねれば水は勝手に流れてくるって考えるのと同じように、APIの存在を考えてしまったとこに、CD交換サービス群の敗因はある。無料のサンプルをもらい続けてるうちにその商品にはまってしまい、高価な定価を設定されて路頭に迷う、そんな感じに似ている気がする。まぁ、人情的には、diglogに肩入れしたくなるんだけども。

ともあれ、何より非道いのは、使ってるユーザー側が、そういう「甘さゆえの失態」のせいで路頭に迷ってしまうことだ。無料サービスだからいいって問題じゃない。サービスやる以上「半永続的提供」というのが本来のあるべき姿になるわけだし。今回は返金されるようだけど、(法的には補償されづらい)ポイントの問題もある。

ちなみに、CDの製品データっていうのは普通に買おうとするとけっこうな買い物だったりするわけで、商品価値は高い。自分のメリットがなければ無料でなんて使わせたくないと思うのも道理というものだろう。「そうは問屋は卸さない」とはよく言ったもんである。他者に依存しないとできないサービスってのは、もっと「仮に提供が打ち切られた場合/べらぼうに値上げされた場合」ってのをリスクとして織り込まないといかんのかもしれない。

もっと言うと、これ、各種の無料サービスにも言えることなんだよなぁ。ユーザーを企業、サービスをAPIと置き換えたとすると……。

たとえば、mixiが明日つぶれたらどうなるか、とかね。明日、「年会費5,000円とります!」とか言い出したらどうなるか、とかね。ここまで社会インフラ化してくるとそういう問題は当然でてくるよね。個人的には、無条件に無料サービスをありがたがる風潮ってのはあまり好きじゃないんだけど、原因はそのあたりに依る気がする。カネだしてれば文句の言いようは一応あるわけでさ。

いろんなリスクを想定して、それに見合う身の丈のことをやりたいもんです。他山の石ってやつですかね。そんなことを思いました。

……そういえば、毎朝食べてるベーグル、値上げするんだってさ。

世知辛い世の中だぜ。