奈落のクイズマスター。

最近は、いろんなものを手を動かして作りながら、規制一辺倒からは面白いものは生まれづらい、ということについてよく考えてます。

世の中の面白いコンテンツってのは、大体、世の中のグレーゾーンをついて生まれることが多いのかなぁと。いや、法律って意味じゃなくてね。You Tubeは法律のグレーゾーンの産物だけど(いや、ブラックかな)。

はいそれ白ね、はいそれ黒ね、の二分法の繰り返しってのは、黒を踏まないように踏まないように気をつけ続けるサイクルを意味するわけで、どんどんグレーゾーンから足が遠のいてしまう。そのうち、白いとこを歩き続けることだけに神経使うようになるし、さらに進むと世の中の半分以上を占める「黒」はなかったことにさえされてしまうかもしれない。けど真白な世界というのは実は「白だね」「そう、白だね」ってただそれだけを確認しあうだけの世界だったりして。そのうち白が白であることを守るために黒いことをやるなんて倒錯だって起こりうる。たとえば政治の歴史なんてそんなことの繰り返しだ。

そうではなく、白でも黒でもないところをいこうとする。そこに残るあいまいさ。フラジリティ。それが思いがけない想像力の飛躍を生む気がする。そもそも僕等は白いものを作りたいのではなく、かと言って黒いものは作っちゃいけない。だから、グレイな世界で勝負しようとするわけ。この白と黒の間で、なんらかの色をひとつまとめあげる作業、それが「編集」って言えるのかもしれない。

クイズの世界じゃなくて、なぞなぞの世界を僕は生きたい。なぞなぞには、白も黒もない。正解・不正解なんてどこ吹く風。なぞなぞにあるのは解釈であり、想像力だ。子どもはなぞなぞを好み、大人はクイズを好む。なぞなぞで大人をからかうと、子どもは怒られる。けど子どもはそんなことではめげない。だって、どっちが断然面白いか、自分のほうがよーく知ってるから。

どうせFinal Answerさ。賭けるなら面白いほうに、ゴキゲンな方に10,000点。