浦和レッズ2冠達成+天皇杯連覇。

「お正月には国立で、ガンバ大阪倒しましょう」

なんて鹿島戦のあと、『お正月』の替え歌でサポーターが楽しさに塗れて歌ってたわけだけど、実際は楽しい試合というか苦しい試合で、だけどその苦しみの分、歓喜は大きい試合でもあった。テレビで観ててもはらはらの連続。いつマグノアウベスが火を噴くか冷や冷やだったけど、都築の熱血クレヴァーなプレイで耐え凌ぎ、長谷部→岡野→永井でワンチャンスをモノにした。あれだけ喜びを味わったのに、こんなに春から縁起良くていいんですか?

本当に「強い」チームになった。しみじみ思う。「強い」。何が原因って、それは様々あるけど、勝者のメンタリティって言うんですかね、それがはっきり出てて、プレイしててもそれが滾りまくりなんよね。絶対やられねぇぞ、ていう。下手すると、レギュラー争いに比べたらこんな勝負苦しくもなんともねぇよ、ていう。昔の鹿島とか磐田とかにあった(けど鹿島やジュビロはレギュラーはある程度固定されてたから、実はあの頃の彼らにもなかったかもしれない)あの感覚。何時からそれが表に出だしたかというと、去年の天皇杯制覇だったと思う。あれから(少なくともホームじゃ)「勝って当たり前」てな風に変わってった。ひとつ結果が形になるだけで、貧弱だったボーヤも変わるもんである。勝利のカウントダウンに主に使われる「POU(Pride Of URAWA)」ていうチャントあるんだけど、ほんとにあのコールがチームのシルエットと重なりだしたのって、ほんと今年からだと思うよ。プライド。

だけど、そんなことはあくまで結果でしかない。本当の勝因は、実はただひとつだと思う。埼玉スタジアム

収入基盤としての埼玉スタジアムは、他の有名選手や強力スポンサーを抱えるクラブでももてない、日本随一のリソースであることは間違いない。「聖地駒場」の倍の人数を収容するハコ、というだけじゃ勿論ない。そんなハコは横浜にもトヨタにも大分にもある。いや、むしろ埼玉の田園地帯、赤羽(あたり)から20分の最寄駅から徒歩20分という立地を考えれば、他のスタジアムの方が交通面で余程便利だ。だけど、そんな遠隔のハコに、わざわざサポーターは集まるのだ。なにしに?勿論、サッカーを観に。けど、それだけじゃない。あの空間を共有するために、サポーターは集まっている。そういっても過言じゃないだろう。

2,000円のチケット代の半分以上は、ひょとしたらあの空間に支払ってる対価なのかもしれない。それだけ、選手入場直前からがらりと空気を変え、ビジュアルとコールでその場に居るものを圧倒する、サポータのパフォーマンスは素晴らしい。あれは、広い「一面の」ゴール裏があってできることであって、出島があってでこぼこな、小さな駒場スタジアムではできない。かと言って、例えば日産スタジアムでも、二階席の屋根が深くて、「一面」のビジュアルは作りがたい。かけられるコールやチャントは、実はその場の展開に応じたある規則性があって、それなりのストーリー仕立てになっているのも面白い。起承転結の結びは、先ほども出た「POU」。選手挨拶の後にPOUは終わり、次にタオルマフラーが掲げられ、響き渡る勝利の凱歌「We are Diamonds」。この後、試合終了後30分以上は騒いだあとで、わざわざ20分かけて浦和美園駅まで、多くのサポーターは帰る。道路は長いけど、広くて意外と人は流れてたりしてストレスは少ない。この徒歩の間というのが実にまた、余韻に浸れて楽しい。すぐ電車に乗れちゃうと、ずっとニヤニヤしてるわけにもいかないのでそれはそれでつらいのだ。1時間かけて、美園から電車乗って王子あたりにつく頃に、大体頭は現実に切り替わってる。結果的にだろうけど、この現実と祝祭の切り替え的空間操作術みたいなものは、実に巧く機能してる。わざわざ遠くの場所まで足を運ぶのは、実は「遠くにあるから」。そこに「異界」があるから。ファンタジーに浸れるからだったりするのかもしれない。ある意味、ディズニーランド級のコンテンツと言っていいかもしれない。けど大事なことは、ディズニーランドみたいに、そのコンテンツを会社が作ってるわけではなくて、サポーターが自ら作り出してることである。アイだね、アイ。

そしてそんなコンテンツを持ってるのだから、クラブはそこで入った入場料とグッズ収入で、ピッチの中や周辺環境に投資すればいいだけ。投資は、例えばサントスやエメの移籍のように大きな収入を再びもたらし、新たなリソース確保のための資金となる。投資が新たな投資を呼ぶ、実にシンプルな縮図だが、親会社に頼った経営をしていてはこんなことはできない(某横浜のクラブのように、親会社の予算がカットされたらそれで泣くしなかいのだ。)。

勿論、クラブは埼玉スタジアムの最強コンテンツがなんであるかを分かってる。だから本社を埼玉スタジアムに移転し、一部サポーターの異論もありながら、駒場でのホームゲームを減らした。それは当時の犬飼社長の英断だったと思うし、実際、クラブの発展の歴史は、埼玉スタジアムの落成前後で大きく動くことになった。チケットも格段に手に入りやすくなって、僕みたいな県外に引っ越した人間にとってはありがたい限り。その過程で、サポーターのパフォーマンスが進化してったのも、また事実だったりする。そのパフォーマンスの作り出す空間に惹かれ、常に来ているサポーターに加え、ライトな層もわざわざ足を運んでくる。金満クラブと軽口叩くひとに問いたい。それだけ強く何かを求め行動しているクラブとサポーターが何かを手に入れずして、誰がそれを手に入れられるというのか?

さておき、思えば、「至便」であることを良きこととし、「効率化」を旨としてきた現代において、このように「わざわざ」感を逆手にとったコンテンツが成果を残すというのは、何か示唆を与えてくれるのかもしれない。その身体性や時間間隔にこそ、テレビで試合を観るのとは違う、何かが宿ったりする。今ここにいたという奇跡がその胸に溢れてる、と、夢を見せてくれる空間。その空間にひとは集い、その中で、選手は強くなる。闘莉王は泣き、啓太はボールにくらいつき、ワシントンは胸を叩き指を天に上げ、ギドはイチバンデスと叫ぶ。僕らは「浦和レッズカンピオン!」と歌う。僕らは強く信じ、求め、そしてその信念に答え、一緒に手間ひまかけて、何かをまた「わざわざ」作り上げていくのだ。誰のために?決まっている、ほかならぬ僕ら、お互いの幸福のためだ。

そう、幸福。なんて幸福なんだろう、と僕は思う。06年シーズンは、本当に幸せだった。まぁ今日は国立だったんだけどね。事実、国立で試合みると、「やっぱ埼スタっていいスタジアムなんだなぁ」て心底思ったりもするのだよ。そんな僕らに、おめでとう、そしてありがとう。この言葉で、06年のシーズンを結ぼう。浦和は、僕らと共にある、世界に羽ばたくその日を信じて。We Are REDS!