どんな光より速く遠く走りたい男の子女の子のために。

『MY FOOT』-the pillows.

the pillowsを語るとなると、何時も困るのが、どう切ってもそれがストレートなロケンローだってことだ。ストレートで無駄がないからこそ、ダイレクトに楽曲の力強さと繊細さが伝わってくる、なんて凡百のピロウズ評を眺めれば幾らでも書いてあることで、あまり目新しさがない。この名盤にどんなことばを与えればいいんだろう。としばし悩む。これがピロウズ評を書くときのジレンマだ。楽曲のよさにどう考えても、ことばが追いつかない。かと言って、良いのひとことじゃ脳がない。

余り言われてないことかもしれないけど、ピロウズってバンドはとてもアレンジ能力が高い。コード進行はシンプルなのにマンネリには聴こえないのは、様々なリズムのパターンを持ち、その上に上手にギターを重ねられるからに他ならない。ストレートっていったって、ごりごりリフを鳴らしてパワーコードずかんと鳴らしてシャウトするような流行りなマネはしてないことに気づくのにそう時間はかかるまい。アレンジは歌を殺さないし、歌はメロディに寄り添っている。例えば『サードアイ』は狙いも狙ってやってると思うので顕著だけど、貧弱なボーヤのような1個のギターリフが、シンコペーションのリズムを得た途端に生き生き歌いだし、間奏では寄り添うギターのフレーズと交わることで一瞬の憂いと違う表情を見せ、最後旋律的に変形し終始に向かいラストでは2本のギターが平行に交わり聴き手が一人前と認めてくれる、というような物語をたった2本のギターで奏でているのだ。(メジャー)7度や9度や11度を織り交ぜたコード感への拘りがなければこうゆう芸当はできない。そして、そういうコード感を大事にして音を重ねてるから、彼らのギターの音は、どんなに轟音でも、一瞬の憂いと影と、多面性を残す。しかも、このアルバム、徹底してLとRに分かれたツインギターに拘ってるけど、たった2本のギターで、それができてしまうのだ。ピロウズって元々、ギターを重ねるの好きなバンドなんだけど、シンプルにしても、同じ、いやそれ以上の表情を楽曲に与えてしまうことができるてのを証明してしまった訳だ。知的に音数減らすのってなかなかできない。

そんなこんなでまとまってないけど、まぁ、ピロウズは2本のギターという脚で、この世界に立ち突き進んでいる、とこういう訳だ。その力強さを確認したら、後は詞のセンチメンタリズムにノックアウトされればいい。「立ち止まればそれまで/僕が終わるしるし」。こんな10年近く前の宣言を反芻する。改めてかみ締めてみると、なんだか回遊魚みたいな生き方だな。あ、でも回遊魚に足はないのか。人間に生まれてよかった。2本足で走れるし、夜になれば、枕で眠りにつき、ささやかな夢を見れる。