これは日記ではない。


『NIKKI』-くるり

J-POPの世界に、またひとつ、ステキなポップアルバムが生まれた。1枚岩ではない、様々な色を持つ曲曲、実に優れたポップスの集合体。

今までのくるりにはないタイプのアルバムだなぁ、という第一印象。くるりは、四番打者みたいなごついタイプの曲と、間に打線を繋ぐ小技のきいた小兵がぽつぽついる、みたいな、割とコンセプトをかっちり決めたような盤を出すことが多かった。ただそのやり方は明らかに前作で硬直してしまったように聴こえてたと思う。まるで何処かの球団のようになってしまったというか、全員ホームランか三振か、というタイプの曲になってしまいアルバムとしての線が見えなくなってた。

『NIKKI』は違う。これは全員が機動力のある中距離打者な打線、と喩えて良いかもしれない。中には四番を打てるタイプもいて、中には守備の巧いタイプもいて、でもある程度打率は計算できる、必要に応じてはバントも盗塁もできる、みたいな。1曲1曲バラエティに富んでて、テーマ性とかコンセプトとか見当たらないのに、1枚聴きおえてみて合点がいくのは、1曲1曲の持つポテンシャルが高いのが分かるからだ。しかも1曲が抜けてひっぱっていくという感じでもない。それぞれの曲がそれぞれの曲に足りない部分を補いあい、それぞれの曲の良い部分を引き出している。愛嬌あふれる洋楽からの引用と歌謡曲的和メロとの融合、日本語の使い方も見事。これら絶妙なバランス感覚が、この盤の核といえよう。

或いは、ノーコンセプトたること自体が、この盤の最大にして最強のコンセプトになった、といえるかもしれない。結果的には。彼らにとって今ツボなオトを、良いと思える曲を、ひねくれることなく素直に出せたからこそ、この盤のこの表情がある。一聴するとチープなオトを、シンプルなアレンジを深く聴かせるという、下手に凝ったオト造りやプロデュースをするより遥かに難しいことを、いとも簡単にやってのけている(ように聴かせてくれる)。その快音の数々に、自然体であることと、自然体を気取ることの大きな違いをなんとなく感じるのである。因みに僕の文章は日記のように装いながら、非常に気取った、瑣末な欺瞞に満ちた自己演出を幾重に重ねている。音楽を通じ自然に「NIKKI」を描ける彼らが、ただただ羨ましく思えるのです。