春と修羅(6)。

「わたくしはどこまでも孤独を愛し/熱く湿った感情を嫌ひますので」

春と修羅第二集』序。(http://why.kenji.ne.jp/haruto2/jo.html


最終回。明日本番だから。いや、全国いったら続き書くかもしらんけど。

幾つか宮澤賢治の「春」概念について例示する。信長貴富氏は「春」を仏教用語として扱い、「涅槃」即ち悟りの地、理想の境地と解釈するけど(池澤夏樹にリンクさせるなら「あるべき世界」という概念である)実際賢治がそういう語義で春を用いたかは疑問の余地があるかもしれない。

春と修羅」の2年後に書かれた詩を中心に編まれた『春と修羅』第二集には「春」と題された詩、「春」について書かれた詩が複数のこされている。これら詩篇のコンセプトは基本的には初版春と修羅と同じ。これらを読むと、春の具体的描写とそれに対するレトリックを織り交ぜた賢治の「心象風景」であることが伺えると思う。

http://why.kenji.ne.jp/haruto2/75kitakami.html(75 「北上山地の春」)
http://why.kenji.ne.jp/haruto2/78haru.html(76 「春」)
http://why.kenji.ne.jp/haruto2/184haru.html(184 「春」)
http://why.kenji.ne.jp/haruto2/184haruhen.html(184 『「春」変奏曲』)
http://why.kenji.ne.jp/haruto2/519haru.html(519 「春」) 

対置する「修羅」が仏教用語(阿修羅様のこと。怖い顔した像で有名。)というのが根拠としては挙がりそうだけど、僕は「修羅」というのが実は仏教用語の意味を深く込めたものではなく、葛藤する自己を規定するためのシンプルなレトリックとして持ち出されてるという印象を持っている。宗教観は基本的に切り離されてる(今までの文章をあれこれ考えてみると、むしろ賢治は、個人としての信仰をどちらかというと重視し、宗教的な存在を特別視するのを嫌った人間のように映る。国柱会は辞めなかったという謎は残るけど。)。「春」がシンプルな概念として提示されているなら、なおのことである。修羅とは賢治という「人間」の象徴であり、春はその人間の感じた春なのだ。悟りとか涅槃とか理想とかではなく、春そのもの。この題名は「春における自己の心象スケッチ」くらいに捉えればよいのではなかろうか。対置ではない。むしろ、共存。融和。

そうすると詩の解釈が、思想とかそゆものから切り離されて、とても身軽いものになる。ここでようやく本文にたどり着こう。表示されない方もいるかもだけど、スペースも意味あるものと思うので、縦書きで。

春と修羅http://why.kenji.ne.jp/haruto/109harut.html

構成としては「修羅(おれ=賢治)の内面」「風景描写」(賢治というフィルターを通した風景)の2項に主に分割され、時に両者が入り混じっている(対置されるが、全て対立しているわけではない)。(……)とカッコに閉じられた箇所客観的な風景描写と主観的なモノローグが入り混じる、場面を切り替えるための装置としての機能が強いように思える。(このカッコ内のフレーズの場面切り替えの機能を信長貴富氏は実に上手に楽曲に翻案している。)スペースが入って波打ってる詩の中央部分は、まさしく波が流れてくような風景描写に重きが置かれ、スペースのない箇所は「修羅」の内面、そして身体性が強調されている。

最初の数行の描写はいきなり「心象の」てきてるから「内面的葛藤をレトリックで語ってる」くらいで解釈できるだろう。諂曲模様(欺瞞にみちた光景、ということらしい。)と自身の内面を履き捨てた後に、(……)と美しい風景描写がナレーション的に挿入される。ここで具体的風景に出逢う自身の描写に切り替わる。その風景が美しいからこそ自身の抱える矛盾のさもしさが強調される。はぎしりして歩くしかできない。その自身の矛盾に気付きながらも何もできない半端な、葛藤に溢れるさまを「修羅」と形容している。

修羅は泣いている、ことに気付かされ、場面は切り替わる。春の風景が美しいレトリックとフレーズで描かれる。それは岩手の光景であって岩手の光景ではない。宗左近によれば天山は中国の山らしいのだけど、そういうレトリックを用いながら賢治は「抽象的風景」を描いてると考えてみることにしよう。読者に岩手の風景を見ることはできないように、賢治に中国の山の風景を観ることはできない。けど、それをイメージすることはできる。ここはそのイメージとしての風景描写の最たる例。

(……)を経て再び修羅の主観へ。「まことのことば」を「真言」と宗左近は解釈しているがそこまで仏教に密接な関係を持つフレーズではないとおもう。ここでは美しい四月の中にいる修羅が描かれる。ここで始めて、切り離され対置されていた「春」の描写と「修羅」の像が出会うことに注意したい。

(……)で美しい描写を再び経て春の森と、その森に存在する修羅の姿が描き出される。「二重の風景」とは、修羅の「心象風景」と「修羅の見ている風景」を指すのかもしれない。あるいはこの2つの風景を往復して描写しているのかもしれない。いずれにせよ、修羅は四月の森の中にあり、森は修羅と共にある。

(……)で時間概念の描写。それを経てテキストは修羅の身体にクローズアップするべく視点を切り替える。ここで「内面」のみの存在だった修羅の存在は、他者に認知可能な存在として、身体を持つことになる。(……)で修羅の感情を挿入。春の描写。そして(……)で第三者的視点に切り替え、涙する修羅の姿を描写。実に切り替えがリズミカルで巧い。うしなわれた、と形容された「まことのことば」という言葉が繰返される。発するべき具体的言葉が見当たらない、そんな状態の暗喩ではなかろうか。だからこそ賢治は、抽象的な言葉で心象を描く方法を選んだ。のかもしれない。

次にクライマックスが静かに訪れる。「あたらしくそらに息つけば/ほの白く肺はちぢまり」この描写はかなりこのテキストの中で重要な位置にあると思う。これをキーにラストの描写に行くという意味もあるけど、大事なのは、今まで「みえるのか」と可視的な存在であることに疑問さえもっていた修羅の身体が、ここに「呼吸」という実にシンプルな形ではっきりとたち現るからだ。

息を吸って吐く、肺は縮まる。ただそれだけの描写だけど、自身が呼吸していることを自覚することで、修羅は身体をはっきりと把握し、自身の形がここにあることを肯定する。いままで心象風景に逃げ、百姓の視線から逃れようとあがいていた姿がここで覆される。はぎしりもいかりもない。だけど、決してこれは諦観のため息ではない。むしろ、力強い生命観に溢れていると僕には映る。そしてその生命観は、次の「(このからだそらのみじんにちらばれ)」というささやかな衝動へと繋がってく。

自身の身体を自覚した後で、その身体を空へと投げ出そうとする。これは投棄ではなく、融和への欲望だと思える。

これが自身を投げ捨てることのレトリックではないことを示す重要な根拠が、宗左近も指摘してるこのフレーズ。

「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう/しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる」
(『農民芸術概論綱要』http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html

各々感じ、生きるための決意。そう考えちゃって良いんじゃなかろうか。弱くなんかない。ロマンチックでイメージが豊かなだけだ。

そうすると、詩が唐突に抽象的風景描写で幕を閉じることの説明もつく。修羅が自身の矛盾や葛藤をある意味肯定し、浄化したことで、このメンタルスケッチの目的は達成されたからだ。これは激しい言葉をレトリックとした、繊細でロマンチックな自己肯定のための言葉の連なりなのだ。たぶん。

自身の抱える矛盾を包み込み、肯定せよ。そうやって生きるための手段として、芸術はある。別の言い方をすると、自身を束縛する状況や、時間や、空間に支配されず、そこから飛躍し、かつそれらと融和するために、芸術はある。

色々考えてみると、賢治の結論は、ここにあるような気がするのですよ。

 
「われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある/巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす/おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう」(『農民芸術概論綱要』http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html


結果として、時間を越えて多くのひとに多くの「読む」ことの面白さを味あわせてくれる。多くのひとは不完全に映る彼のテキストに通底する、「完全なもの」の姿を見出そうとする。こうやってみると彼の雄大にみえる思想は、実現されてるのかもしれない。単純に、これってすごいことだ。彼の作品、というか、僕は彼の作品を作り上げた思想に敬意を表したいと思う。生きるための芸術、生活とともにあり、かつ時間を越える普遍的かつ不定形な芸術。それは壮大に見えて、実はとてもシンプルなものの積み重ねの構築物なのかもしれない、或いは。

以上、春と修羅考、了。