月光はロックを語る。

なんとなく最近過去回帰モードなせいか、ブクオフで拾ってきたLINDBERGのスコアを引っ張ってはコードをさらってまったりするクセがついている。そのせいか、なんだか懐かしくなって、押入れからLINDBERGのCDを引っ張り出して聴いたりもしてる。特集雑誌も幾つかあったので、のんびり読みかえしたりもしてる。いったい何の前触れだろう。

さておき、そんなこんなな流れもあって、何となく月光恵亮(ツキミツケイスケ)という人物について調べてみたのだ。なんと、ググったら一発でオフィシャルサイトが登場したことに驚いた。いや、裏方肌だと思ってたからさ。

http://www.tsukimitsu.com/index.html

この月光という人物が何者かと言われれば、音楽制作会社PUBLIC IMAGE(今は社名変更したらしい)の社長であり、音楽プロデューサー。ZIGGYLINDBERG田村直美a.k.a. SHO-TA、PEARL)、松田樹里亜、変り種だと山瀬まみのCDなんかのプロデュースも行っていた。

で、このひとのやってることというのは、なんてことはない、ビーイング総帥である長戸大幸の仕事と同じだ。つまり、「音楽制作会社」をつくり、専属の作家を抱え、タイアップとってきて、所属する音楽屋の曲のアレンジを行う、という一連のビーイング・プロセスの模倣を行っていた。実はこの人物、かつては長戸大幸の片腕として、ビーイングの副社長をしていた。それが独立してつくったのがPUBLIC IMAGE。オフィシャルサイトをみたら、尊敬する人物に長戸大幸の名前を載せている。特に80年代後半から90年代前半にZIGGYLINDBERG田村直美らのタイアップ戦略が実り、ビジネス的に成功を収めた(と推測される)。

ただ、ビーイングと違う点は、ビーイングのように、PUBLIC IMAGEというブランドや自身の名前をメディア等に前面にださず、あくまでサウンドプロデュースやビジネス面の黒子に徹してた点だ。(いや、恐らく単にビーイングが目立ち過ぎて隠れてた、てのもあるけど。)
これは推測だけど、性格的に月光という人物が、お抱え作家によるビジネスをやりながら、何処か「自作自演ロック」というモノに対し、幻想を持っていたことがその原因なんじゃないか、等と思ってみたりもした。PUBLIC IMAGEは、アイドルをロック色の強い音で再デビューさせるという(ビーイングもとってた)手法を得意としていたけど、基本的には曲か詞の少なくともどちらかはバンドや音楽屋本人に書かせることが多く、その不足分の曲の製作や「自作曲」のアレンジを月光(ペンネーム井上龍仁)を中心とするお抱え作家陣ですることが多い。月光は、プログレバンド活動、映画音楽製作を経て作家としてビーイングに入ったそのときから、意識としては「1ビジネスマン」である以上に「1クリエーター」なのかもしれない。だから自分の仕事から「製作」を切り離さない。バンド活動を経て職業作家となりつつも、93年頃には音楽制作の一線を退き、お抱え作家に製作を投げていた長戸とは対照的ともいえるかも。今や長戸の役割は、音楽マーケティングの実践であると考えた方が恐らく正しい。

さておき、そんなこんなな月光の幻想が、「元アイドルを中心に作られたバンド」だったLINDBERGの、ピュアに夢というものを信じ続けるというメンバーの姿勢から生まれた、余り作られたバンドにはなかった結束感なんかにも繋がっていたのかもしれない。LINDBERGはセールスが落ち込みを見せていた時期に、その結束力でもってメンバーの脱退等もなくPUBLIC IMAGEを離れることを決断し、最終的にはインディーズでの活動を経て解散している。月光はと言うと、一度は自分の下を離れたZIGGYを再びプロデュースし、ZIGGYデビュー何周年とメディアにプッシュする戦略でもって生き残りをかけている感じか。自作自演幻想と、マンネリ感に否めないビーイング的タイアップ/製作スタイルとの融合は果たして成立するのか。月光は自HPで「BEATLESに出会った衝撃や興奮を探して放浪している。音楽の旅に終わりはない。」と語っている。音楽ビジネスをやりながらも長戸的なマーケティング感を持ちきれず、「音楽制作屋」である自身にこだわり続ける彼の姿勢が垣間見えるような一節である。製作と戦略の狭間。その幻想の行き先は、いったい何処なんだろうね。


参考:http://www.geocities.co.jp/MusicStar/3830/