i don't know how to explain so i had sung.

最近発売されたとあるJポップのムック本にオレンジレンジの最近の曲のレビューが出ていた。1P割かれたレビューで主旨は大体こんなだった。「パクるのは別段勝手だけど曲に<心>がないよね。」

……心……。

自分で歌を趣味にしている身分なので、オンガクには何か特別な精神的な何かが宿るべきモノであり……と言いたいところなんだけど、じゃぁこのライターさんの言うところのミカンに足りない「心」って何かと考えると、その抽象的かつ主観的なモノの言い方に戸惑いを覚えてしまった。というか、このオレンジレンジ評は、主にネットの上で、ややポピュラーオンガクに対してリテラシーが比較的高い(と思われる)方が言っていることと殆ど同じだと思う。つまり、パクリであることを糾弾するでもなく、パクること自体に対しては別段否定も肯定もしない、だけどミカンは「響いてこない」みたいな言説だ。この言説は、例えばB'zに対するポピュラーオンガクにリテラシーが比較的高い方の言説によく似ている。パクリはいいけど、パクリ方は浅いよね、とか、原曲に対してアイがないよね、とか。アイとかオマージュとかは良く聞くんだけど、今度はダイレクトに「心」である。心。むー。精神論。

じゃぁ例えばポピュラーオンガクに対してリテラシーの比較的高い方が好むパクリ実践オンガク「渋谷系」には心があるのだろうか。やっぱり奥田民生のパクリにはオンガクをアイする心があるからOKと言うのだろうか。あるとしたら、その心の源泉ってなんだろうか。その線引きを説明されないで唐突に「心が無い」と切られても、1読者としては戸惑うしかない。心が無い、ていう意見することを否定するわけじゃないけど、そう言うならそれなりの論拠がほしい。そうゆうプロセスを踏まずに紋切り的に切り捨てるのは、何の議論の発展も生みやしないし、それこそ僕が一番危惧するところなんである。まして、あのムックの存在意義を考えた場合に、そこに紋きり型の意見を見つけるとすっごいがっかりさせられる。勿体無いと思うですよ。それこそ、そのムックシリーズで某ライターさんがパクリについて考察を重ねてきた意味がないと言うかなんというか。ある言説に迎合してるという意味じゃ、ただパクリだという理由で糾弾している方々と大差ないと思うけど、或いはそれは言い過ぎかもしれません。ごめんなさい。

けど、この記事のスタンスだけみると、ノンアイデンテティなオンガクであること自体に意味を見出そうとする姿勢を見せ、敢えて表紙に載せインタビューを敢行したROJの姿勢のが余程僕はおもろいと思う。……あ、そうか、それはもう音楽誌に書かれていた批評、てことになるんか。