追悼、SE(2)。

唐突に思い出したようにhttp://d.hatena.ne.jp/assa/20050228の続きである。気付けば最後の祭りまであと10日となっているのだ。へゃぁ。

『ULTRA SONIC』-SCUDELIA ELECTRO

デビューアルバム『SCUDELIA ELECTRO』の次に出たミニアルバム。デビューアルバムの上昇下降エレクトロ路線を踏襲した新曲、カヴァー曲と、弦を豊かにしリアレンジを施したデビューアルバムからの2曲+同盤からの弾き語り1曲で構成される。基本的にはファーストと同路線でむしろ2つで1枚のセットなんじゃないか、という盤なのでその音楽性について分析して特筆すべきこともないのだけども、あえて特徴を述べるとすれば、これは自己肯定の盤なんじゃないかってことだ。自己って言っても自我とかそゆことじゃなく、石田小吉が持ってる所謂音楽性ってやつの自己確認=肯定だ。

天を舞うかのようなシンセギターのSEと湯川トーベンの地の底に落ちるようなベースの咆哮ではじまる名曲「Day After Tomorrow」は石田自身も認めるように、Spiral Lifeのデビューシングル、「Another Day Another Night」の展開の踏襲である。何も変わっちゃいない。むしろ、変わっていないところに、つまりその美メロと展開力にこそ、この曲の魅力がある。しかし忘れちゃならないのが、ここにしっかりと、過剰にポップな轟音ギター(+シンセギター)と打ち込みのオトが散りばめてる点。これはSpiral Lifeではない、ということをSpiral Lifeの要素以外のオトをSpiral Lifeな曲構成に組み込むことで主張しているかのようだ。

Spiral Lifeを肯定しつつSCUDELIA ELECTROたるオトを奏でる。この盤はその点で実に象徴的に思える。既存の曲を分厚い弦でリアレンジするという手法もスパイラルで行われてたことの繰り返しであり、ゆえに弦は「Spiral Life的なもの」という記号として機能する。だけど曲は石田イズムに彩られた前のアルバムから引っ張り込まれた曲であり、スパイラルの曲では断じてない。これは「Spiral Lifeがまとっていた記号で非Spiral Lifeなオトを奏でている」という点で、「Day After Tomorrow」の持つテーマと繋がっている。エレクトロなアレンジでカヴァーされたオフコース「秋の気配」も同様。先人へのリスペクトという姿勢はやはりSpiral Life的であるが、アレンジの手法やリスペクトの向け先は過去或いは現在のロックンロールではなく「ニューミュージック/歌謡曲」という点で非Spiral Life。残るはいかにも素晴らしいひらめきで突っ走った猫への愛情と賛歌だけ。(まぁこれも無理矢理解せば、犬好き車谷浩司作の『I Wish』への返歌ともとれなくもない。)

と言う訳で、過去のオトを肯定しつつ、SCUDELIAなオトを表出しているこの盤。根拠なく考えれば、或いはこの盤は、「Spiral Life」という存在にオマージュを捧げるための、石田小吉なりのひとつの方法論だったのかもしれない。非Spiral Lifeで語る、Spiral Life。ex.Spiral Lifeが語る、非Spiral Life。こんな反語的な手法で以って、上昇/下降の賛歌は、一端、原点回帰という名のもとにこの盤で落ち着くとこに着地をしたのである。……石田小吉離婚という事件が起こるまでは。