記譜/遠近法/平均律。

木下長宏のABC(http://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/3800288.html)第1回。アルベルティの会(要旨1|要旨2)についての雑感。

一番興味を持ったのがアルベルティとその周辺の発明した「遠近法」のもたらした、芸術と「人間」との関係性の変化についての下記の言葉だ。長いけど引用。

この切断面=平面に世界を描く[再現する]ことができるという方法によって、絵画のありかたは、「壁画」から「タブロー」へと移行したのです。タブロー、 tableau は、こんにちのわれわれは「額縁に入った絵」という意味で使います。 ( 略 )―それは「持ち運びができること」ということです。つまり、遠近法の発明によって「絵画」は「持ち運び出来る」ものになったのです。そして、その「絵画」は「人間」が「世界」を一つの平面に封じ込めた「像」であるのです。ここにきて、「人間」の自由になる、持ち運び可能な「作品」の中に「世界」=神の産物が閉じ籠められたのです。

木下氏は遠近法が上記のように絵画が「世界」を一つの持ち運び可能なメディアに閉じ込めることを可能としたことが、絵画、ひいては絵画が表象する「世界」と「自己」の間に「主/客」の関係性を作り出した、と述べている。また、近代の萌芽以前は、自己とは神の造りし世界の中で内包される存在以外の何者でもなかった。ところが世界との主客関係の登場により、人間は神の代理人となったと木下氏は述べている。かつては教会の壁面にしかなかった世界がポータブルな二次元平面に閉じ込めることになった。世界を閉じ込める行為を行うのが<画家>=神の代理人、というロジックだ。こうしてルネッサンス以降、ヒューマニズムという概念が成長していくことになる。

と言うわけだけど、ここで木下氏が「絵画についてはこうだけど、音楽についてはどうだろう。」という問いかけをされていたので、サワリだけ軽く考えてみます。

……。……。

所謂クラシックと呼ばれる音楽の根源は礼拝のための音楽、つまりミサにある。礼拝のための言葉をある旋律で歌うという行為が先ず誕生し、信徒に歌い継がれた。それが、10世紀の「chor(合唱)*1」という様式の誕生に繋がる。先ずは単旋律の歌があり、その後、キリエだのクレドだのグロリアだのと司祭がリードする神への忠誠を誓う言葉をのせた通奏的な低音の上に、信徒が旋律と信仰の言葉を重ねる技法で歌われるミサが誕生した。10世紀頃には、4度や6度の和音を軸とした同時進行で旋律と言葉を重ねる二和音ミサへと変化していく。これがエスカレートし、11世紀〜13世紀にかけて、徐々に3度和音等も駆使した3声部、4声部のミサが生まれる。ここで複雑化した音楽を記録するための媒体が必要となり、楽譜というメディアが生まれることになる。そして、楽譜が音楽を記録可能なモノにすることで、更に和音と音楽の構成は複雑化することになる。その技法が成熟したのが、丁度ルネサンスの時期だ。

そうなると、音楽は段々と「司祭がリードし楽器を鳴らしその上に旋律を信徒が載せる」という即興的(かつ儀式的)な要素を失い、「司祭」の手(口)に終えなくなる。結果、ミサという行為は司祭から離れて、専業の音楽屋たちに渡っていくことになる。そして専業の「作曲家」が作った曲(即ち「作品」)を専業の唄い手が歌い楽器つかいが弾く、という「芸術作品としての音楽」が誕生することになる。乗っていることば*2は神への忠誠なんだけど、もう音楽をいじることが目的化していって、乗っていることばはただの手段に過ぎなくなってきたので、段々宗教的な価値というのも失っていくのである。そうなると、音楽をする人の興味は「和声」というモノをいかに駆使しある種の世界観を楽譜に記し、表するかというとこに向かっていく。音楽学者ゲオルギアーデスは特に15世紀に顕著なそんなこんなな現象を指しかく述べている。「15世紀の音楽ミサは単なる典礼の1要素ではなくて、それ自体独立した芸術作品なのだという事実を認めることができる。」(『音楽と原語』講談社学術文庫 p.79)

そして15世紀は重要な音楽的発見をもたらすことになる。カデンツ(V→Iの終止形)の発明とアカペラ(無伴奏合唱法)の発展である。これにより、音楽は二つの流れを生むことになる。平均律を中心とした理性的音楽理論の発展と、楽器に規定されない「自由」な音楽の探求、そして器楽と声楽の分化。やがて音楽はシンフォニーという様式を生み出し、教会からコンサート・ホールへとその活躍の場を移し、「芸術家」の個性を体現するため(世界と自己との対立を描くための)メディアとなっていった。とかなんとかと考えると、平均律の発明は17世紀だけど、その萌芽は既に15世紀から始まっていた。てことなのだ。教会音楽理論の成熟と複雑な和声の発達、楽譜の発明、音楽実践の専業化=教会から切り離された音楽の発明。そういう意味では、遠近法の発明と時期を同じくして、「世界」を表象するためのテクノロジーは、音楽の世界でも生まれていた、ということですな。駆け足なシコウでしたが、以上であります。

※参考文献 T.G,ゲオルギアーデス『音楽と原語』講談社学術文庫


*1:元々は舞踊を伴う歌のことだったらしい。

*2:これは決まった旋律(定旋律)という一種の主題で歌われていた。ので、作曲者達はこの定旋律をいかに和声を駆使しいじくるか、というとこに興味を先ず抱いた。けど、そのうち面倒になって民衆の歌う旋律なんかと融合していって、結局作曲者はこの定旋律を捨てることになる。こうしてますます音楽は典礼な価値を失っていったのであるてんまる。