未完の中心で叫ぶ確信犯の声。

それと関連して、というかなんというか。

「あのアンチミカンサイトの中の人は確信犯でまとめやってるんじゃないですか?」と某氏と話をしてたらそんなコトバがその方からでてきた。だってあれを真剣にやるなんて有り得ないでしょう。というよなことを言われる。あー、そう言われると、なんかそうかもしんないな、とか思ってしまう。成る程。なるほど。

確かに改めて考えてみると、法律を根拠に糾弾しつつMP3の法的取り扱いについてはお構いなし、というその矛盾した姿勢、確信犯じゃないか、と言われると、成る程、頷ける気がする。あれだけの批評的なMP3を(あのアンチサイトのすごいところは、文章よりも提供してる音源の方が遥かに「批評的」なところだ。百文は一聴にしかず、ということかもしれないけども。)送り出すくらいのリテラシのある人間が、真面目に著作権法32条第1項に自身の「仕事」が適法だと考えているとも思えないし、真面目にあのFAQを書いたとも思えない。よくみたら、上の朝日の記事みたいな擁護派のマスコミ記事もちゃんと取り上げてるし、「法的な解釈」のページで、自身の主張の間違いをしっかり正していたりする(8、その他。線は引いてるけど、削除やコメントアウトしないで残してるのが偉い。まぁ元の主張自体がまた結構せつない感じなのだけども。)。

ひとつ、仮説を立てるとすればこうだ。某chのミカン叩きを眺めている観察者がひとり、居た。そこから、彼/彼女はアンチという現象に興味を持つ。元々、アンチだったのかもしれない。或いは、ミカンは嫌いだけど、アンチ現象は気になるし、つい覗いてしまう、という、僕みたいなタイプのひとだったのかもしれない。そして某chにて、アンチを支える情報は集まりだし、やがて飽和し氾濫しだす。情報の氾濫と共に、アンチの感情も氾濫し暴走し始めた。誰もその激流を止めることができない。そこで、はたと、彼/彼女はアンチという感情に対し批評的な距離を持つ自分に気付くことになる。若しくは、あふれ出した情報や感情を整理するためにまとめサイトを作り出したら、アンチ現象に対し批評的な距離を持っている自分に気付いたのかもしれない。

そして、彼/彼女は「アンチをいう感情」を俯瞰しつつ、自身の観察対象としての「アンチという現象」をより煽るために(或いは、若さゆえの正義感ゆえに暴走している一部のアンチに啓蒙を促すために)、某chからの情報をピックアップし、まとめサイトを充実させていった。だから、あのサイトは、主観的であると同時に、俯瞰的なのだ。あのFAQや、諸々のコンテンツは、「もっと煽れ。」というメッセージと共に、「良い加減、気付け。」という、中の人からのメッセージを含んでいるのだ。そうなると、アンチは勿論、アンチアンチオレンジレンジ [ (c)犬にかぶらせろ!さん(id:gotanda6:20050414:orange) ] は、すっかりその中の人の掌に踊らされていることになる。中の人は、アンチミカンという世界の中心でアンチ現象をすっかり司っているのだ。だとしたら、すげぇ。中の人、『電車男』並に、すげぇ。

……という妄想的仮説を会話の中で立てたところで電車の時間が来てしまったので、妄想の続きは途絶えてしまったのだけども、アンチという現象を眺めているうちに今度は、アンチオレンジレンジサイトの中の人の正体に興味がいってしまうとは……。やはり、この現象からは目が離せない。というか、興味の対象がごろごろ変わって、肝心の議論が一向に進みやしないのだけども。嗚呼……。