そう、歌うように。

ほんっと今更ですが、『のだめカンタービレ』-二ノ宮知子を買い漁っております。

毎日毎日本屋で1冊ずつ買い集め、ほぼ日刊のだめ状態。大丈夫。ほぼ日刊こち亀なら書籍代で生活費破綻するかもしれないが、のだめならあと4日で終わる。『BECK』はすっかり止まったけど、これはほんとすんなり読めるなぁ。

ところで、「音がないマンガという表現なのにまるで音楽が聞こえてくるような…みたいな評をときたま見かけるけれど、音楽が聞こえてこないから成立してんじゃん。」という文章を見つけて、なるほど確かにそうなんだよなぁとか思って、ふと連想ゲーム的に思い出してみたのですが。*1

僕にとって、音楽を描いたマンガとして外せないのが『ルードウィヒ・B』-手塚治虫だったりする。のだめはクラシックを扱ってるから、なんとなく手触り感でこのマンガのことを思い出してみた。手塚治虫は宝塚ミュージカルや映画、米国アニメーションから大きな影響を受けてるひとだったから、相当、音楽と、音楽のマンガ表現化に拘りを持っていたと思う。クラシック音楽とあわせることに主眼おいた虫プロの実験アニメーションなんかもあるし。その究極が、残念ながら急逝により断筆となってしまったベートーヴェンの伝記フィクションだったと思う訳だけども、この表現は子ども心にすげぇなぁ、と思ったモノだ。小学校4年くらいで手に取った記憶あるんだけども、手塚得意のフィクショナルな伝記モノ、という安心感もあって、すんなり読めたんだよな。今思うと、音楽的な解説や歴史的な解説も多く、色んな面で深いマンガなんだけど。

あーけどほんとこのマンガが完成しなかったのすげ悔やまれるよ。手塚の思想面(市民革命の描き方が今思うとすごかった。)とか見え隠れしてるのもおもろかったし、何より、聴覚を失ってく過程のあの絶望感の中での「それでも音楽は鳴っている」的な悟りの部分で終わったところがまた惜しい。恐らく、クライマックスとして用意してて、伏線もしっかり張ってた『第九』初演まで、せめて読みたかった、と思ってしまう。そんなで、手塚がベトベンの伝記にあえて挑んだのは、「聴覚の失われた音楽家」と「聴覚という概念が存在しないマンガ」というのをシンクロさせたかったせいかもしれない。等と思いつきを書いてみる。のだめから話逸れたけど。

ともあれ、のだめに限らず、『NANA』『BECK』のヒットもあるし、思いつきでもいいからまとまった議論でてこないかなぁ。音とマンガ表現(若しくはサイレントな視覚表現)について。とかなんとか書き捨てて、今日もマスクをして眠る。朝までにはヘッドフォンと一緒にきちんと外れてて、結局のどかわいて鼻が詰まってるのは、どうにかなるまいか。嗚呼、春なんです。


*1:評、というよりかは帯のコピーとかでそゆ煽りを見ると、あー……とか思いますな僕は。コピーとして陳腐すぎるというかなんというか。