ノイズマッカートニー辺りにて。

乗り越えるべき壁をまたひとつ越えた。さぁ次の壁はなんだ?と思わなくもないけど、インプットばかりでも脳内RAMが飽和してしまうので、少しずつ断片化した知識を知恵化(文章化)していく、アウトプットを徐々にしていきたいなぁ、と思いつつも。余りに断片化したシコウノイズを晒すのは恥ずかしい。と言う訳で。とりあえず一息ついて読了記録。

『ノイズ―音楽/貨幣/雑音』-ジャック・アタリ

去年の今頃に古本屋で「音楽は予言的であるがゆえに告知する。」という件のコピーの煽情具合に惹かれ買ったはいいが、そのあまりの文章の難解さと日々の眠さに放置プレイしてたのだけど(学生時代もそうだったけど、みすず本は勤め人には敷居がなかなか高い……ドイツ人の文章だったら挫折してたかもしれない。フランス人でよかった。)、『音楽未来形』を読了するや否や、これは熱が醒めぬうちに読まねば、と一気読み。『音楽未来形』の記述を解説がわりにする形で、あぁなるほろ、とおぼろけながら理解できた感じか。古本屋で確保しといて良かったー……。

やっぱ、あれよね、人文系の研究なんて、煽情されてナンボよね、と個人的には思う。こゆ文章を読むと特に。それは、洗脳ではなく煽情だ。そして一度踏み入ったその場所はテキストとの戦場だ。1回目の読みのときは、先ずは徹底的に煽られ、そして2度目に、ひっかかった棘のよに抜けない何かを慎重に抽出し煽ったモノの正体を探り、3度目にはその熱が醒めないうちに抽出した材料を構築する。ほんの少し乱暴に扱えばそれは壊れてしまうけど、大事にしすぎて醒まし過ぎてもまたいけない。適度な熱量が必要だ。

あ、と、本の内容には全然触れてないな。えー。個人的には自分を蒼くなれってばかりに煽ってくれた文章、てことで片付けたいのですが。著作権の問題意識は、もともと日本の著作権制度がフランスに近いてんで近しいモノを感じ、数十年前(1977年著て!!)の議論にも関わらず今にも十分通ずる。そして、彼の言う「反復」が今すごいスピードで回ってることに自ずと気付かされることになる。そして反復を食い物にするケーザイの暴走。凄いスピードで瞬きもできずにまるで時間は止まってけど間違いなく動いてて急がなきゃ急がなきゃ早く行かなきゃ君に逢いにいかなくちゃ、て感じで。混濁してて訳わからないけど、成る程、立派な「予言書」だ。

けどもぅ、メディア論に近しい場所で研究するにゃ、著作権ってのが間違いなく一番大きく、そして誰もが乗り越えなければならない壁として残るのね、てことを改めて痛感する。何よりそこにケイザイて言説が絡むのがどうにもこうにもややこしい。というのは、今の著作権制度の複雑さをそのまま示しているのだけども。あーこれは考えてる訳でもなんでもなく、ただのグチです。当たり前の事実をただ述べているだけ。マルチ生よ、この壁を跳び越えて来い!(意味不明)