猫は狗にあらず、獅子にあらず。

劇団四季『CATS!』鑑賞。キャッツシアターにて。

これが噂の四季のミュージカル、という奴か、としみじみ鑑賞。しようと思ったのだけど、あの躍動感満ち溢れた身体性は何処からやってくるんだ?しかもその身体性が「細部まで計算され尽くされ」「高いクオリティを維持し」「最初から最後まで」矢継ぎ早に繰り出されてる。ひとことで言えば文句なしに「プロの仕事」だ。世の中には「きちんとエンターテインメントを創り出すことに腐心するひとや集団」は多いと思うけれど、その究極の到達点のひとつだよな、四季ミュージカルって。と思ってみた。なまらすごいです。あの数々の猫のシルエットを、間違いなく「ひと」が創り出したのだ、という事実にちょっと感動する。いいねぇ。ねこ。


とは言いつつも、やっぱり演劇を齧っただの、音楽趣味者だの、て観点で見ると、この作品のバックグラウンドだのなんだの、てのがすごい気になってくる。徹底的にエンタテインメントに昇華されてるが、ホンだけ見ると恐らく、時代背景やらなにやらさまざまなウラがあるんだろうなぁ、と感じて検索かけてみた。

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原作は数編のファンタジックな色の濃い詩編だったらしい。それを組み合わせ「宗教的な」色合いを深めたミュージカルとして80年代に「キャッツ」は生まれた、云々。というか、結局のとこ、この作品に一貫してるのって、楽しげにやってるけど悲哀だったりするのだよな。猫はメタ的な意味で猫な訳だし。楽しめるけど悲しみを底にした楽しみだから本当に楽しめるというか。塩をかけると西瓜が甘くなる原理というか(だいぶズレた比喩)。

音楽については、音的にはすっかりまさしく80年代。基本的にはバラードからジャズからダンスミュージックまで幅広く詰め込んで、踊りから泣きメロまでコーラスにしてみたりソロナンバーにしてみたり、という感じか。さまざまなジャンルを横断する音の玉手箱、て感じでした。観客を飽きさせないための工夫、と言ってはそれまでだけど、歌のクオリティがしっかりしてるので、ちゃんと聴けてしまう。通して観てみると、なんか激しく得した気分をするのだよな。だって、あのアクションにあの音楽乗るんだものな。それは反則というものだよワトスン君。


そんなで専門外なことについて、長々と書いてしまったけど、80年代の狂騒が生み落とした享楽的な、だけど享楽では終わらない祝祭的な一遍の音物語、てことで、一見の価値はあるかと思うです。つか、あれだけ官能的に踊りながら、激しくアクションしながら声量落とさずちゃんと歌える、てすげぇ。それだけで脱帽でありました。 僕はやっぱり、猫にも、やさしいライオンにも、なれないのね。猫になりたい、言葉は儚い。