センチメンタル・コミック・ロマンス。

『僕等がいた』-小畑友紀、しばらく他のまんがが(谷川史子の初期作とおかざき真里南Q太の新作のことだ。)おもろくて止まってたんだけど、1〜6巻まで読了してつい昨日、最新に追い付いてしまいました。

最初はさー、あれ6巻におまけCDだかDVDついてら、高山みなみが声やってら。余り今良いまんが出て無いし、残業代の使い道探してたとこだし、何より表紙が綺麗で好みだし、女子高生に大人気てPOPでてるし、1週間で買い揃えるかー。て買い始めたつもりが結局巧いことはまってくれず買い控えてたのだけど。そんなこんなしてるうちにおまけ付6巻は店頭からなくなってしまった……。

つか主人公の名づけ方がまずよくない、て最初まず思ってしまったんよ。それが見誤ったはじまり。ナナて、モロに某女子高生カリスママンガを連想してしまうし、そいう偏見をまずもって読んでしまうと、全く別のプロットでもそれらと比較しちゃうのよ。するとプロットがなんだか『天使なんかじゃない』じゃないか、と、偏見持ってしまう訳ですよ。けどよくよく考えればボーイミーツガール学園アオハルモノ少女マンガのプロットなんて殆ど一緒な訳で、そゆマンガはプロットではなく描かれ方の差異を愉しむモノだて基本に気付けなかった訳ですよ。それで先週ふと止まってた5巻買ったら……せつねぇじゃんかチキショウ。つかサイドストーリー良過ぎ。しかもヒロインの名前が「   」かよ!みたいな……うっかり撃沈されました……。

まぁマンガとしては「死別」とか「同名」とか「友情と片恋」ていう使い古されてぼろぼろなモノをくっつけてベタベタに造ってる訳だけども、偏見取り払ってみると、あぁこれは立派な少女マンガなんだ、と改めて感じる。矢沢あいが『NANA』や『パラダイスキス』で、少女マンガの枠組と価値観をぶち壊し、また羽海野チカが『ハチミチとクローバー』で少年マンガ系ギャグ要素と正統派少女マンガ的要素のON/OFFの切り替えでリズミカルにセンチメンタルなアオハルを描くて手法を確立してしまって以来、どうしても第一線で描いてるマンガ家がそゆ正統派マンガ描くと「何を今更……昔の矢沢とか谷川読めば済むじゃんー。」とかまず偏見をもってしまう訳だけど、小畑は、それをしっかり90〜2000年代解釈で料理してることに気付かされたのでした。今あえてベタな正統派マンガをセンチメンタルに描くことも必要なのだ、と思った昨今。切なさに小細工とかゴタクは要らないんだー7巻買うぞーチキショウー……。


それに比べて『彼氏彼女の事情』-津田雅美の19巻ときたら……コメントアウト……。