秋風の中で鐘の音をきいた気がしたんだ。

愛と共に、僕は祈っているよ。

君が、いつか道を見出だすこと。

君には、真実に至る道を見つけられるよ。

だって、君の後ろに道はずっとずぅっと伸びてるんだから。

ほんとだよ?


射す光は今は暮れて、君はなんだか疲れてるようだね?

ちょっと目を閉じて思い出してごらん?君が過ごしてきた日々のこと。

甘い嘘は今は苦く、君はなんだか哀しそうだね?

ひとりでじっと佇んで、続けていく理由を探している。

いつもいつでも、君は、真実も無意味になっちゃう、

そんな十字路に追い詰められていて、

どこにいても、雨風のいちにちを歩いていて。

だからさ、君は、ただずっとずぅっと待つべきだと思うんだよ?

真実が君の内で鳴鐘する、その瞬間を。


愛と共に、僕は祈っているよ。

君が、道を見つけだせたらなぁ、て。

誰の中にも道はある、道は心の内に延びているんだ。

口にすると、まるでほんとのことじゃなく聞こえるかもだけど、

僕は祈り捧げてるよ、君が、いつか道を見出だすように。

君には、真実に至る道を見つけられるよ。

だって、君の後ろに道はずっとずぅっと伸びてるんだから。

ほんとだよ?

……。……。

クセになりかけてる、石田小吉(ついに「石田小吉キーワード登録してしまいました。こっちの表記がやっぱり好きなんです。慎ましくシアワセでいたいのです。)英詞和訳第3弾。「Truth」の英語詞。

歌詞カードにらめっこして気づいたけど、SCUDELIA ELECTRO「Truth」の英語ヴァージョンの詩て、「Since Yesterday/ふたりのイエスタデイ」(Strawberry Switchblade)のパ……もとい引用を基に成り立っていたんだね。今更気づいた。や、正直、余りに効果的な引用に思えて意訳しててちょっと感動してしまった。

「今も僕は/忘れていないよ/苺畑のふたりのイエスタデイ」とはやはりSCUDELIA ELECTROの「Day after tomorrow」のフレーズ。ミニアルバム『ULTRA SONIC』では、英語ヴァージョンの「Truth」の次にこの曲が入ってる。この三つ巴の相乗効果はなんなんだろう。原曲の持つ「別れを目前にして過去に囚われ迷い惑うふたり」というイメージをかくも巧く利用し、甘いメロと轟音ギターポップに昇華してしまうとは。

「Truth」英語版は惑う「ふたり」へそっと背中を押し、内面に近づくことで答えを促そうとする一種の啓発曲(?)て感じ。というか「癒し曲」すね完全に。これを作詞作曲者自身の姿と重ねてたかどうかは、知る由はない。けど石田この曲大好きだやね。何せデビュー曲だし、ライブでも色んなアレンジ駆使してしつこいくらいやってる。

それはさておき、で次に続く曲、「Day after tomorrow」の先に引用したフレーズに続く歌詞がこれだ。「叶わぬ願いがあるなら/叶うまで歌に綴るよ/Day After Tomorrow」。おぉ、唸るね。泣き入りそうだ。

「ふたり」の願いの行く先を知る術はない。だけど、ただ目を閉じて想像することはできる。或いは願い叶ってあの海に還ったのかもしれないし、或いは雨風は凌げなくて、追い詰められたまま、一面の苺は実を成さなかったのかもしれない。けど結果はいずれにせよ、「ふたりのイエスタデイ」では語れなかった「願い=a hundred wishes」はイシダにより、歌に綴られる形で結実した訳で。なんたるロマンチシズム。歌は歌われるためにあるのではない。歌い継がれるためにあるのだ。と。微かに夏の匂いを残す風は今日も温かく、そして少し肌寒い。そんな中、スピーカーは揺れて、聴き手の口は開く。旋律はあくまで美しく、ことばは背後の未知なる想像へと向かうのでした、とさ。

嗚呼、今、鐘の音が聞こえた。こうやって書くと嘘みたいだけど、「Raspberry Belle」という曲を聴くと理解る……ほんとうだよ……?