ゆれる?myself?

やっぱりSpeederは英語ヴァージョンがよいなぁ。やっぱりBPM150の轟音8ビートてのは、影みたいについてくる絶望を振り切る感覚で歌われるのが丁度よい。僕の解釈では、英詞ヴァージョンは、日本語詞バージョンの過去のことを歌ってるてことになるんだけど、そゆ感じで聴いてみるのはいかがだろう?日本語詞では過去形が多く、英語詞では命令形が多い。英語詞は今まさにSpeederに「僕を光の彼方へ連れてってくれ」て言ってる最中で、「願望」が先ず先行して実際はその願いには届いてない雰囲気がなんとなく感じられる。日本語詞はいきつくとこいっちゃってる感じ。到達とプロセスの違い、ての?あぁそうか、絶望を振り切ろうとするプロセスを描くイシダが、僕は大好きなのかもしれない。

そいやSCUDELIA ELECTROの「水虎の涙」とかもそれ系だなぁ。余談も余談で大脱線だけど水虎は河童の別称、若しくは河童より獰猛な中国の河に棲む妖怪らしい。くちばしを持ち、中国のオリジナルは皿を持たず、固い鱗に覆われている異形の存在。時々ひとを水の中に引きずり込み、人の血を吸う。だけど他人を巻き込まざるをえない自分を自覚しながら、遠く想う他人を不幸にしたくないなんて願いながらそれでも何も変えられずに水の中でしんしんと涙を流しているのだとしたら、こんな儚い存在はないんだろうな。凶暴な感情を抱える存在ほど、その実は哀しみを抱いてるモノなんです。てか。例えば人間の娘に恋をしたらどうなるさ?どうやら水虎は屍体にならないと人の目に留まらないらしい。するとただ湖の底で、水面を見上げるんだろうね。願いは届かない。そう、それこそイシダロマンチシズムの真骨頂なんだろう。光の速さに届けば君を迎えにいけるのに……なんてそれに到達できない存在は、水面の風を見つめながらただ願う。

まぁいいやその辺は。脱線したし。参考。画がなんか良い感じ。http://member.nifty.ne.jp/KGEC/KUGETSU/suiko.htm