サテツの塔。

『END OF SUMMER/BAKU LIVE AT EAST』-BAKU というビデオをブクオフで100円で拾ったので眺めてみた。ら、こいつがびっくり拾いモノ、冒頭に出てきた活字は「LAST LIVE」。92年、BAKUのラストライヴの映像だったらしい。そんなでちょっと身を乗り出して観て聴いてみた。

興味深いのが車谷浩司谷口宗一の対比。クールな演奏に終止する車谷。最期、解散演説を行い、しれっとした微笑を浮かべながらこんなことを言ってる、17の時から何も考えず突っ走ってきました、しぬとき走馬灯のよに想い出が流れるて言うけど、今の僕もそんな感じです、最期大勢の皆の前で演れてシアワセでした、とかそんな感じ。そして演説の後、車谷は観客席へとダイヴする。或いは、これはBAKUとしての自分を殺すための、鮮やかなる投身自殺的儀式だ、なんて思わなくもない。

一方の谷口はと言うと、時に涙ぐみ、最期には号泣絶叫状態。クールな車谷とは対照的だ。最期、車谷と肩を組み歌う姿、メンバー紹介で「BAKUのギター」とBAKUという固有名詞を強調する姿は、別れに対して割り切ることができない感情が何処か伝わってくる気がする。

BAKUを過去のモノとして自分の中から殺した車谷と、過去のモノにできず引き摺る谷口。その二分法的対比がこのフィルムのキモかもしれない。この数ヶ月後、車谷はとっくに一緒にレコーディングを行っていた石田小吉Spiral Lifeを始動、一方谷口はBAKU解散後ソロ活動、一時は音楽活動休止まで体験する。谷口の「活動休止」をも含むジグザグなその後の遍歴の原点は「割り切れなかった」この解散ライヴにあるような気がするようなしないような。

ところがクールに終止する車谷にしても、実はかつての親友に捧げる名曲「天までとどけ」では滅多に見せない驚くまでのエモーショナルなヴォーカルを聴かせてくれてる。こんな姿を見ると、過去なんてそう簡単に割り切れるモノじゃないし、車谷にとっても実はそうだったんじゃないか、なんて思わなくもない。何か終わりまた始まる、その時、僕らは全てを割り切って身を投げ出して過去を消し去ることができるだろうか、それとも過去を胸に刻み付けながら、迷い歩いてくのだろうか。ふたりの対比は、なんとなくそんなささやかなる問いかけを、僕らに示してくれてるような気もしてみたり。BAKUの終わりは、青春の終わり、そのものだったのかもしれない。なんてさ。