増長する欲望と内に秘めた迷い。

オンガクを聴くと自然とある風景が浮かぶ、ということが多々ある。それは恐らくBGMとしてのニューミュージックの台頭、そしてウォークマンの普及に依るモノなんだろう。自然と視覚的(とも限らないけど)風景と鳴ってる音楽とを結びつけるように身体は慣らされている訳ね。

例えば「一万マイルの彼方へ」「ネオングロウ」-SCUDELIA ELECTRO を聴けば沼津の茶畑を思い出す。延々茶畑。そして僅かな赤い光。例えば『アンビバレンス』-上田ケンジ を聴くと高速バスのまどろみを思い出す。例えば「Raspberry Belle」-Spiral Life を聴くと今度は制服を着ながら自転車を漕ぐ自分を思い出す。きっと数年後にスネオヘアー聴いたらスーツ姿の草臥れた自分を思い出すんだろう……。……。

それらの記憶というのは実にとりとめがなく、またそういう記憶が派生すること自体とても計算できるモノじゃない。どんな瞬間とどんな曲のどんな断片がどういう風に重なってシンクロするかなんて予想できるはずがない。そんなの何処で誰相手に恋に落ちるかを予想するようなモノだわな。けどオンガク好きな人間てどうしてもそゆ瞬間をオンガクを消費してる以上は求めてしまう訳で。

じゃぁ確率を上げるためにはどうしたらよいか。答えは簡単、より多くの「自分の好きになりそうなオンガク」を「できるだけ長い時間」持ち歩けばよい、若しくは接していればいい、とこうなってくる。

ここまで言うと「あーこいつはid:assa:20040506に絡めて考え事してるんだな」と察しがつくんだろうけど、つまりはそんなです。

ファイル交換、或いはネット販売の台頭等で、オンガクメディアのモノとしての価値への感覚が希薄化する中、オンガクの身体性(アウラ?)を保つには自分という存在にオンガクを半ば無理矢理にでも結びつける外ない。それを結びつける道具が「偶然性」てやつだ。けどその偶然性は実は「自分の好きになりそうなオンガク」と「できるだけ長い時間」接するという方法論でお膳立てされた「作られた偶然性」だったりする。これは「カタログ消費〜記号消費」の行き着く形じゃないだろうか。

そう考えると件の47氏などは、その現代人の本能をついた所業をよくも悪くも成し遂げてしまったのだ、なんていえるかもしれない。あるキーワードでできるだけ多くの情報をかき集める。できるだけひとびとは集められた情報を多く消費する。その大量の分母の中から「好みのコンテンツ」という分子が見つかる。分子/分母で生じる確率。すなわち偶然性。その感覚にひとびとは酔いしれる。むしろ集まる情報が大量であればあるほど、そゆ感覚を求める欲望は肥大化する。そんな瞬間がなきゃこんな消費行動は全くの非意味(無意味ですらない)だから。そんなこんなな欲望を揺り動かすツールを作り上げた、というロマンチシズムがきっと氏の強気を生み出したんだろう、と思う。
そんな理由からかどうだか、彼と彼のロマンチシズムは、現代社会における立派な被害者なのかもしれない。なんて思ったり思わなかったり。そんな訳で、今日も今日とて断片的偶発的シコウ。