でっかいこと言ってみようか。

二次創作、で思い出したけど、マンガ原作とアニメ、とかマンガ原作や小説原作と映画、とかの関係性もこの「ギリギリのとこでモノにしてるか感」という観点からしても全く同じことだったりする。そんな訳で『ジョゼ』の話。

ジョゼと虎と魚たち』の原作を書店で立ち読んだのだけど(田辺聖子原作)ここでひとつ思い当たったことがあった。正直個人的に小説版は好みではないので、とかいう話はおいとく。けど、好みでない、という理由がそこにある、という気もしなくもない。

余り言うとネタバレになるので多くは言いたくないけど(つかジョゼはくるり好きと池脇好きかっこ笑いには絶対見て欲しい)実のトコ基本的なスタンスてのはこの2作品真逆なんである。つまり小説版は生の中にシ(終わり)を想い、映画版はシ(終わり)の中に生を見出しているて点において。そしてどちらが「生」を強調してるかて言ったら後者だったりするんだよな。僕にとってみれば。そして大事なのは、あからさまにシを強調し過ぎないことが逆に寂寥感や虚無感を強調するという事実。そしてその虚無感が今度は生命感を強調するという事実。あー巧く言えない。頭悪いよなぁ。

とにかく全く裏返しのことやりながら鮮やかさにおいて映画版は小説版を遥かに優ってる。同じことは同じ犬童一心監督池脇千鶴主演の『金髪の草原』(大島弓子原作)にも言える。虚無感と生命感の同居、ての?全ての鍵はそれなのよ。て思うのよ。映画に限った話でなく、パクリでもそうだと思うのよ。理由は大体100個くらいあって……ひとつめは……