KojiKurumatani は小鳥の夢を観るか?。

AIR横浜アリーナ

つか、あえて苦言言わせてもらう。僕は今までライヴ行って文句言ったことはないのだけどあえて言う。何故コレを横浜アリーナで演りたかったんだ?それが全く見えてこない。これだけ大きいハコで歌モノ主体のライヴやる意味がどれほどあったのだろうか。確かに車谷の歌は良かった。演奏も良かった。個々の曲を見れば出来は良かった。けど、だからなんだって言うんだ。だってココは横浜アリーナだぜ?

確かに僕(ら)は横浜アリーナという響きに拘り過ぎているかもしれない。だけど車谷がSpiral Lifeを終わらせたVHS映像を僕(ら)は何回も何回も何回も見つめ、その崩壊の美に撃たれ続けているのだ。それはスパイラルを壊すための儀式でもあった。あの儀式を生で目撃しなかった代わりに、僕(ら)はVHSを何度も巻き戻し再生した。そして、車谷がそこにいた理由、そこでギターを叩き壊した必然性について考えた。そして10000の観衆の前でそれは行わなくてはならなかったのだと思い至る。彼の狂気は20000の瞳を前にして初めて成立していた。のだと思う。そのような「神話」を夢想した僕(ら)。車谷がそこに再び立つ、と聞いたとき、殆ど同時にチケットをとることを決めたのだ。拘らないはずがない。

だけど蓋を開ければそれはただの、新譜を引っさげたツアー・ファイナルだった。車谷は何も終わらせなかったし、何も創めなかった。ただ音楽を楽しみ、歌を響かせたそれだけだ。ギターを壊すどころか、歪ませることすら殆どなかった。狂気なんか欠片もない。スリルはあったかもしれないが、それは彼の歌とギターから来るものではなく、緊迫したリズム隊から押し寄せるものだった。ぉぃぉぃ車谷、結局お前はここに再び立って何をやりたかったんだ?「帰ってきた」と形容しながら、殆ど他人事のようにスパイラル最期の日の回想について僅かに語るが、その言葉から今への「繋がり」が全く見えてこないんだよ。今ここで唄ってる必然性が全く見えてこないんだよ。冒頭のキング牧師の演説も、そこからの展開もそうだ。「繋がり」が無い。

楽しく弾ければ満足なのか?それだけで過去は清算されるのか?そうじゃないだろう。ここが仮にZEPやBLITZだったらまぁそれで構わない。けど、ここは横浜アリーナだ。自己満足で演りたいならそこで演るべきではない。その下には「sell out」と書かれた朽ちた看板が眠ってるのだ。それを踏み潰してやるならそれなりの覚悟をしてやってもらいたかった。

やっぱり横浜アリーナという言葉に拘りすぎているかもしれない。けど拘って何が悪い?車谷にとっては過去かもしれないが、僕(ら)にとってはそれは亡霊のように生き残ってる。なぁ責任とってくれよ車谷。その亡霊は簡単に振り払うには、余りに美しいんだよ。当人のように他人事じゃ片付けられないんだ。だったら、亡霊を生み出した本人にそれを振り払う手伝いして欲しかった。それが責任てモノだろう?

しかしまぁ最期の2曲、「Starlet」「Hair Do」には確かに幻影を振り払うだけの力が間違いなくあったと思う。だからこそ、出し惜しみはして欲しくなかった。歌モノやるのは構わない。けど、歌う前にまずは、美しすぎる過去を、完全に抹殺してくれ。でないと、何も創められないよ。ありたけの轟音で、スリルあるリズムで、暗闇よりも深く夜を切り裂いて欲しかった。滲んだ涙は、結局流れなかったさ。チキショウ。