1:詩と音楽と。

その誕生から、詩と音楽、ことに「歌」とは深い関係があり、互いに影響を与えてきたことは改めて指摘するまでもないだろう。そもそも「歌」の歴史とは西洋音楽の歴史から見れば、宗教曲、ミサ曲の誕生以来、「言葉」と、その言葉の特質を活かす「旋律」との相互の対立、そして調和、或いは融和の歴史であった。音楽学者のゲオルギアーデスは、われわれが音楽というものを理解、分析する際に必要な「観点」について以下のように述べる。

「音楽というものは互いに対立する2つの観点によって、つまり(a)孤立的な自律的な美の現象として、つまり鳴り響く音形態として、(b)普遍的な精神性、人間性に根ざしたものとして、両様にとらえられうる。第一の観点は楽曲構造に注目した場合に成立する。これに対して第二の観点とは、音楽と言語の関係を追究することによって、もっともよく達成されうるような観点である。」*1

つまり、ゲオルギアーデスは、音楽の解釈においては「楽曲構造」の問題の他に、その構造の上をなぞる「人間性」の分析が必要となる、そしてそのために「音楽と言語」の関係性を明らかにする必要があると主張する。そういう意味では、「詩」と「音楽」は相互に影響しあってきた芸術ジャンル、と言うよりかはむしろ、常に渾然一体となりひとつの体系を成して来たものなのかもしれない。つまり、そもそも「詩」は「音楽」を含み、「音楽」もまた「詩」を含んでいるのである。

さて、このような観点が有効なのは何もクラシック音楽に限らない。例えば、西洋音楽から派生し誕生した、ポップミュージックの解釈においてもわれわれに重要な示唆を与えてくれる。特に「楽曲構造」の分析が困難な代わりに、「音楽と言葉」「言語と言葉」「(ある)言葉と(別の)言葉」の関係から分析することは比較的有効となる。ポピュラーミュージックが扱う言葉は、純粋な話ことば(パロール)であり、その伝播や変化は、クラシック音楽が扱う歌詞(即ちミサという、辞書的な「ラング」)より激しく、また直接的だからである。そのような理由から、以下の文章では、敢えて音楽的分析を排除した上で、歌詞と、詩の関係、相互影響について分析し、記述していきたい。

*1: T.G.ゲオルギアーデス『音楽と言語』P.12 講談社学術文庫 1966年[1994年改訳、再版]