3:自分探しとしての<パクリ>。

しかし、このような<パクリ>に対する価値観とは弱冠異なる観方というのもある。<パクリ>という単語をもじり<リパック(re-pack)>という概念を用いて所謂「元ネタガイド本」である『J-POPリパック白書』という本を書いたライターのオタニユキノリは次のように述べる。

こういう本て世間的には音楽のパクリの暴露本みたいに思われるもんだと思うんですよ。でも、オレ、そんなつもり全然ないんだよね。( 中略 )リパックとは、過去の曲をリサイクルし、新たな価値観を加え、世に出すこと。そして、それをニュートラルな立場で楽しむこと。( 後略 )。元になった音楽を聴いたりして、さらに音楽漂流を楽しんでくれれば幸いかな

オタニ,2001,p.3


続いて彼はミュージシャン佐野元春の次の言葉を引用する。

そもそもポップ音楽やロックンロール音楽は盗みの連続な訳で、だからこそポップ音楽なんだ。一度公に発表され多くの人に好まれたアイディアは意識的に無意識的に他のクリエイターによって模倣され、ディフォルメされ、コピー&ペーストされ、そしてまた次のアイディアがでてくる。ポップ音楽やロックンロールの歴史っていうのはそうしたことの連続さ。実際、僕だって盗んだことがあるし、過去のロック・アイコンに自分の作風をゆだねてみたいこともある。そうしたやりくりの中で個々のソングライターはみんな自分自身にしかできない表現に向って探求の旅を続けているわけだ。

オタニ,2001,p.3

興味深いのは「漂流」「探求の旅」という表現である。彼らはこの発言の中で「オリジナル」(=或いはオリジナルの中のオリジナル)という概念を無意識に(或いは確信犯的なのかもしれないが)否定している。漂流とは行き付く場(オリジナル)なくさ迷うことに他ならないし、「探求の旅」は自分自身にしかできない表現というのが虚構、幻想であると意地悪く考えるなら「終わらない旅」と言えるだろう。行き付く場所があるとすれば、それは<パクリ>によって作られた音楽自身である。すなわち、彼らの発言の根底にあるのは<パクリ>こそが<オリジナル>である、という意識である。だからこそ彼らは<パクリ>に対して「新たな価値観」でもって「ニュートラルな」立場で接することができるのである。佐野は小山田のように<聴取者>としての立場で「元ネタ」を捉えていない。あくまでその立場は<表現者>としてのそれである。

しかし、そのような考えに果たして答えはあるのだろうか?「遠くへ行けば行くほど ほら たどりつくZEROと書いたここに」 こう歌うのはかつてスパイラルライフとして活動し、現在はスクーデリアエレクトロとして活動している石田小吉である。多少斜めに眺めるなら、この歌詞は<パクリ>というものを通じて新たなオリジナリティを獲得しようとすればするほど、元ネタである<オリジナル>に近づいていく、という逆説に対する音楽家の嘆きの声かもしれない。(石田は自身、熱烈なビートルズリスナーである。)

だが、この半年間、就職活動という自分探し(笑)をしてきた僕はそこに「答え」を見出さずにはいられないのだ。エントリーシートを書く、という行為は何を意味するか。それは過去の就活生の成功書類例を眺め、手法を真似て、フォーマットのコピー&ペーストを繰り返す作業である。面接とは何か。それは、面接の模範回答例を見、マニュアルを漁り、自分なりの回答の方法を模索した上でのアウトプットである。オリジナルとされるものを下敷きとして、自分なりのスタイルを探求する行為の繰り返し繰り返し……。そう考えると、まさしく就活とは物語消費的行動に他ならないのである。就活で披露された僕たちの個性とやらは、サンプリングされ、カットアップされ、ミキシングされた結果の<趣向>に過ぎない。しかし、<趣向>だろうがなんだろうが、その個性とやらに僕らは希望を見出したくなるのである。というよりかは、見出さないと、就活などやっていられないのである。そもそも現代人のアイデンティティなんてそんなものなのかもしれない。とすら思えるのである。

スパイラルライフが、小山田が、佐野が、石田がやっていることもこれと同じようなことではないだろうか。そこに希望を見出さない限りは<パクリ>などやっていられないのかもしれない、と思う。だからこそ僕は彼らの(そして自らの)「探求の旅」を弁護するために文章を書きたいと考えている。少なくとも『シミュレーショニズム』『物語消費論』『ファイルアンダーポピュラー』『サウンドエシックス』等の文献を見てレポートにして考察した結果<パクリ>が一方的に非難できない時代になったことは明らかであるという確信に僕は至っている。しかし、旧態依然とした<パクリ>性悪説や、「オリジナリティ神話」が世間を席巻しているのも事実である。このある種の「信仰」「幻想」に一石を投じるためにも、僕はポップカルチャーを弁護しつづけることであろう。それは1リスナーとして、僕にできる、或いはやるべき1つの義務であるように思える。あと半年、なんとかしてその裏づけになる研究を完成させたいところである。


(参考文献)
大塚英志『定本物語消費論』2001年 角川文庫 (1989年 新曜社刊を加筆訂正)
村田知樹他『渋谷系元ネタディスクガイド』1996年 太田出版
オタニユキノリ『J-POP リパック白書』2001年 徳間書店

拙レポート『複製技術時代における音楽体験』2001年
『gene, origin, and music.』〜ゲノム、オリジナリティ、そして音楽。2001年
『概念化された肉体〜「ファイルアンダーポピュラー」書評』 2001年
『消費音楽における<物語消費>の構造』 2002年
http://mmcs.edhs.ynu.ac.jp/~askaw/work/index.html

(参考音源)
SCUDELIA ELECTRO『Better Days〜来るべき世界』1997年 Polystar PSCR-5595