2:共感と引用。

スパイラルライフの引用の仕方っていうのは、自分がなんだか、ある意味共感してしまう部分が多い。( 中略 )彼らは原曲に忠実な引用をしている。元曲を知っていたら、チラっと聞くだけで『あ、使ってる!』てわかるくらいに。好きな音楽をそのまま自分のバンドに取り込もうという感覚。その辺の正直さが、なんか、とても愛しくて、自分がもしミュージシャンだったら、こんなことやったんじゃないかなーって親近感すら覚える。

村田他,1996

これは『渋谷系元ネタディスクガイド』(共著)で日本のバンド、スパイラルライフの項目を担当したライター、村田知樹の言葉である。これは所謂<パクリ>に対する世間の見方の1つの典型であるといえるだろう。重要なのは「共感」という単語である。「この曲の元ネタを知ってる」という感覚が、ミュージシャンへの共感を呼び、そのミュージシャンへの興味を増加させる。このように「確信犯的に」引用を行うことは自己プレゼンテーションのための1つの手段となる。現在コーネリアスとして活動を行っている小山田圭吾は「僕らはパクリをやっている」と自ら公言し、その音楽における引用を通じて「ネタはなんでしょう?」とファンに呼びかけさえする。 このようなケースにおいて、ミュージシャンの活動の根本にあるのは「情報の提供」そして「情報の共有」という感覚である。自らが良いと考える音楽を紹介し、同時に共有する仲間を募る。それは、自分が良い、と思う曲を、つい他人に薦めてしまう、そんな音楽好きの誰もが行う行動でもある。

考えてみれば、この「提供」「紹介」「共有」というのは「クリエーター(情報の送り手)」的感覚というよりかはむしろ「リスナー(情報の受け手)」的感覚であるといえる。これは80年代以降のポップミュージックにおける<パクリ>を考えるにあたって重要な事実であると言えよう。そしてその感覚を支えているのが、市場に出回っている大量の、把握しきれない数の「CD」「LP」「DVD」他の音楽(映像)ソフトであることは言うまでもない。

この事実が<パクリ>を考える上で「消費」という概念が重要である、ということが証明する。以前提出した『物語消費論』についてのレポートで述べた通り、<パクリ>を行うミュージシャンはある音楽を「パクる」ことで「元ネタ」を「消費」しているのだ。それはある意味、同人活動的な側面を持っている。ミュージシャンは元ネタ音楽という(大塚英志の言うところの)<大きな物語>を自分なりの<趣向>でもって解釈し、演奏するのである。その<送り手>の<消費行動>は更に多くの消費者<受け手>を巻き込み、<受け手>の新たな<消費行動>を触発する。時には<受け手>自身が<送り手>にまわり、新たな<パクリ>を生み出す。そしてその言わば<パクリ>の連環が、その根源にある<オリジナル=最初の送り手>の価値を消費者に対し強調するのである。 (ここで「神様」ビートルズという固有名詞を挙げるまでも無いだろう。)大塚英志は次のように述べている。「<複製>はオリジナルを復活させるだけではない。むしろ<複製>が増殖することで、オリジナルがその商品的価値を維持する」 。