友達よこれが私の1年間の仕事です。

これは06年の大晦日に、W杯の豪州戦の録画みながら書いたものです。

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39分、ケーヒルのゴールが決まり同点になりました。ようやく客観視できる気がします。

さて、掃除が進まないので、2006年1年間の振り返りです。

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【1月】浦和レッズ天皇杯優勝。トミー・マリッチに、投げ出さないこと、そして誠の心で今に挑むことの大事さを学び、新年初笑い、初泣き。21日に別冊宝島『「パクリ・盗作」スキャンダル読本』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796650725/発売。メイン記事の1つを書かせて頂く。ひとつ、「ソツロン(http://mmcs.edhs.ynu.ac.jp/~askaw/)がきっかけで本に文章を書く」という、ささやかな願いがかたちになったことで、もっと違う願いもかたちにできるかもしれない、と、ちょっとした感触を得る。ソツロンを見つけて頂いた増田さん、編集の方に推薦して頂いた栗原さんには多謝!多謝!多謝!であります。

【2月】豪華メンツが揃ったパクリ本の打ち上げ飲みがある。向かいに座っていたのが、後に色々あったあのM永さん。人生は分からないなぁと思う。リクルート系の転職仲介サービスに登録。No Planながら、文筆キャリアがいちおうできたのと、3年目終了を控えたのとで、転職を意識するように。実際、仲介サービスは、非公開求人情報がたまにきて「へー」と思う以外の使い道なかったけど。

【3月】別れと出会いの季節。大学の恩師ベルントさんの旦那さん、エンノさんとお会いする。大学とバイトが一緒だった後輩が台湾に渡る。関西に栄転する増田さんの送別もあった。末には新人がきた。歓迎飲みの席でいきなり、うるさい後輩から熱烈なラブコールを受ける。どうせ熱烈なら女の子から受けたかったよ、と、このときは思う。こいつと半年後に連休潰して夜中のみ明かしてプロジェクト立ち上げることになるとは、この頃想像だにしてなかった。

【4月】MDデッキが限界でCDトレイもあかなくなったコンポを同じONKYO製で買い換える。自転車同士でぶつかり転げて右上腕を折り全治2ヵ月と診断を受ける。指揮者の「骨折っても歌は歌える」という言葉に目が醒め、どうにか復活。5月GWの合唱本番2回をこなす。調子に乗ってた頭が冷静になり、ひとはひとりじゃ生きていないんだなぁいやマジでというシンプルなことを身をもって悟る。痛かったけど。音楽に対する見方が徐々に変わり始める。

【5月】GWにTokyo Cantatoで本番。左手が割と器用に(字を書く以外は)使えるようになる。ベルントさんと約束してた原稿(学術論文)を落とす。一応中旬に包帯はとれるが、緊縮状態は続いており、あまりの動かなさに愕然とする。

【6月】腕は徐々に動き始める。23インチAQUOSを譲ってもらう。BS放映のレッズ戦観戦の手段が手に入り、サッカー三昧の残り半年がはじまる。DIGAを新品で買う。W杯オーストラリア戦とブラジル戦で、えも言われぬ失意と絶望感を味わう。塩ラーメンを食べに表参道から新宿まで歩いて暑さで倒れそうになる。

【7月】石田ショーキチソロ活動開始。capsuleにはまりはじめる。[es]を発売翌日に買う。今まで一番タフな演奏会だった定期演奏会「いろはのわ」終了。信長貴富編曲初演『ノスタルジア2(続編)』に加え、10年ぶりに『光る砂漠』より「ふるさと」を歌う。合唱に対する新しい価値観がかたちになりはじめる。社内募集に応募することにする。募集の肩書きは「アーティスト」と書いてあって吹き出す。腕の痛みが消えてきたころ。

【8月】暑さと戦いながら、突貫で応募書類と企画書を作成し応募する。末に合格通知届き、驚くくらいテンションがあがる。3月にラブコールもらった後輩と一晩で(というか最初のビール1杯で)意気投合し、久々に終電を1時間半乗り過ごす。他人様の演奏会に顔を出すようになる。『時かけ』を新宿で観て、号泣する(このあと2回観る)。花火を観る。音と光と歓声と酒に塗れた、祝祭と歓喜の日々を過ごす。

【9月】社内募集面接のあと、いったことなかった山陰へのんびり旅行する。旅行の帰りのバスくらいから咳がはじまる。3連休をぶっ潰して、後輩とプロジェクトを立ち上げ、1週間で部門重点施策に盛り込まれる。このとき、日本橋ヨヲコ風に言うなら、後輩は生まれてはじめての「戦友」となる。旅行中に読んだ『夜のピクニック』『ハチクロ』にじんわり胸を打たれる。末に、社内募集の結果が出る。ある関連会社のインキュベーションなんちゃらとかいう部署への異動が決まる。

【10月】ミスチルピロウズの有り得ないタイバンを観る。咳がひどくなる。親父が還暦でウクレレを贈る。引継ぎとお祝い飲みで忙しい日々が続く。アンサンブル系合唱団に顔を出すようになる。信長貴富の『Faraway』という素晴らしい譜面に出逢う。段々とレッズの優勝が現実のものとして見え始める。白熱した好ゲームが続く。開店したてのライブ・カフェ・スペース、荻窪アルカフェに顔を出すようになる。アレルギーの薬を飲んだら、咳がぱったり止まる。

【11月】段々と引継ぎが落ち着きはじめる。浦和が東海アウェイツアーでブレーキかかる。優勝、かと思いきや、京都がガンバにロスタイムのゴールで負けて結局優勝を逃し、ぬか喜びを味わう。ちょっとびっくりな報せが来る。ちょっと考えて、喜ぶことにする。

【12月】レッズが優勝して、12年間がフラッシュバックしてぼろ泣く。ようやく人見知りが治ってきた1歳4ヵ月のメイにめろめろになる。京都から著作権シンポから、色んなとこに顔を出しては飲み歩く。iPod Shuffleが手に入る。the pillowsのAXライブのUN1「ストレンジ・カメレオン」でマジ泣きする。Iというミュージシャンと偶然電話で話す機会があり、生きてて良かったと思う。急に突発仕事がやってくる。色々あったけど、その仕事もなんとか昨日クローズの報せを受ける。これで安心して年が越せる。12/30、26になる。26の年も、25のときと同じくらいにエキサイティングであればと願う。

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うわ、またケーヒルのゴールで逆転された。知っててもやっぱショックな映像だなこれ。てゆうか掃除しろよー自分。

えーと、良いお年を!