CDは株券じゃない?

昨日は合唱団の練習。練習後ののみで、喧々諤々と、年明けに計画してる信長貴富曲のレコーディングについて議論してるのを傍から聞いてたのだけど、やっぱコンテンツを作り出すってのはむつかしいことなのだなぁ、と痛感する。てゆうか、幾ら百戦錬磨の指揮者も声楽家も、コンテンツの中身になるのは得意なんだけども、コンテンツを「流通させる」となると、ノウハウも何もないのよ。問題は、録音の資金の回収とかそゆ問題だけじゃなくて、流通させる「リスク」をどうやってみんなで背負うべきか、方法論が何もないところなんだと思う。これはもう、コンテンツ流通の既得権益で喰ってる連中がいて、一般の目に触れさせないとこにその世界を隔離しちゃったせいだろう。2.0だなんだとか言っておきつつ、その世界がなかなか崩れないのは恐らくその複雑さが要因な気がする。音楽も出版も映像もみんなそう。

にしても、この世界は良い加減誰かがブレイクスルーを起こさないといけないだろう、と思う。もうレコード会社と音楽出版社音楽事務所が、原盤権をたらい回して食いちぎりあって、ばくちみたいなビジネス繰返す時代終わっちゃったじゃん。もう10人に1人がCD持ってる国民的ヒットなんて、宇多田で打ち止めですよ、少なくとも0X年代終わるまでは。そんなカネにならないばくち、体力の無いレコード会社には続けられないでしょう。

だからこそ、原盤権はむしろ、その音楽を流通させてくれ、自分の手元に届けてくれ、と思う「聴き手」によってシェアされてく方向に移るほうが断然分かりやすく、美しいと思う。もっと、「製作ファンド」的な考え方が、コンテンツビジネスの世界でも根付いてくれるといいんだけどなぁ、とか。例えばこんなの。http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20217207,00.htm 証券化ってことばはなんかイヤだけど、こゆ仕組みをどんどん作ってかないと、(同人的ではない)音楽制作が草の根で広がっていかないんじゃないかなぁ。とかね。こゆ制度あると、ほんと楽なんだよね。「皆がこの音源に何口乗るか」「1口に対してどれだけ利益を還元するか/どれだけリスク乗せるか」だけの世界。そうすれば製作サイドはむつかしいことは余り考えず製作することだけに注力できるわけで。だって、音楽するひとの仕事って、音楽の売り方考えることじゃないじゃんすか。それを背負っちゃうというのは、やっぱ不幸なことなんだと思いますよ。

まぁ、皆で幸せになる方法を考えよう、という訳でした。今のビジネスモデルじゃ、「マイノリティをマジョリティにする」ことでしか音楽コンテンツって流通させらんないからねぇ。実にムダだ。そんな錬金術いらんのよ。マイノリティは、マイノリティなりの生きのび方を考えればいいんだってねぇ。CDは株券じゃないんだっての。