雨の音、潮の音。

『湯川潮音』-湯川潮音

前評判がえらい高い歌姫のメジャーデビューアルバム。ミュージックマガジンでトップページで記事が出るくらい。元スマパンのジェームス・イハ、岸田繁ハナレグミ、等々、作家陣が豪華、ぶっといベースは僕も大好き実は美声ベーシスト湯川トーベンの娘、ノートルダム寺院で歌ったこともあるという合唱経験者。プロデューサーに鈴木惣一郎。MixにZAK。これで期待するな、という方がムリな相談というものだ。

だけど、正直な感想、ピンと来なかった。期待値の高さのせいかもしれないけど、なんかこう、一抹の違和感が残る。悪くはないのだけど、手放しで良いと言うには、最後のところで1本繋がってくれない。上手いんだけど、音楽として流れてくれないというか。その原因が、今日ようやく分かった。タイミング、だ。

非常に良い声をしている。勿論音程に破綻はないし、高音は伸びやかだし、声量もある。オケも声を邪魔しないよう、生楽器主体の静かな音作りをしている。ところがだがしかし、そのオケと声が馴染まない。これは、声を前面に押し出す盤としては致命的ですらある。オケの賑やかさで声との乖離を誤魔化せないからだ。オケと声自体の質がよければ尚更それが目立つ。

なんで乖離してるのか、声を追っててようやく気づいた。要するに、声を出すタイミングが、オケより0.2歩くらい遅いんだ。低音から高音に音が上がるとき注意して聴いてみて欲しい。僅かだけど、遅い。だからオケとずれて聴こえる。声と楽器を生かそうと、音像をクリアにしてる分、このずれははっきり耳に届く。息を吸うタイミングからして遅れが聞き取れるのだ。

声量のあるひとにありがちな罠なんだけど、音を伸ばすことに気をとられ、ある音符を切ったとき、次の音符に入るタイミングが遅れることって往々にしてある。クラシック出身だと、なまじ「音符をきっかり伸ばす」習慣が身につくだけに、なおのこと。声量少ないシンガーのように、息がなくなったら勝手におなか緩んで勝手に空気が入ってくるとか、そういうことがないのだ。そうすると息を吸った瞬間、一瞬声が音楽から遅れる。これは、豊富な声量を持ってしまったがゆえの不幸とも言える。

息継ぎのタイミングでこういう傾向は顕著なんだけど、他の箇所でも微妙にオケと合わせ切れてない部分があるように思える。バンドでリズムセッションをきっちり録って、それに合わせられてるように聴こえる『蝋燭を灯して』と、リバーブをきかせた『キルト』は例外的に遅れの違和感がない。この2曲が素直に「良いなぁ」と思えたのは、そういうことだったのか。と妙に腑に落ちてしまった。特に『蝋燭を灯して』の録りは絶妙。

まぁこれも、非常に良い素材であるがゆえの不幸、というものだろう。だけど、良い素材なだけにとても残念。ポピュラー音楽の持つグルーヴに合わせて声を録る、ということをもっとスタッフが考えて支えてあげた方が良いかもしれない、なんて思ってもみた。まぁ潮音さんもまだまだ22歳と若いのだし、色んな音楽を聴いて、リズムとかグルーヴとかに意識的になってみたら、思い切り化けるのではないかと思う。湯川潮音のあと、矢野顕子を聴いたら*1、そんなこんなが再確認できて更に腑に落ちてしまった。矢野顕子は好き勝手に時にアクロバチックにやってるように聴こえながら、一定のリズム感と呼吸のタイミング、音の伸ばし方切り方というものを常にキープしていて、そこから逸脱することは殆どない。ソロヴォーカリストが本当に剥けるときって、そういう安定感ある逸脱というのがほぼあるように個人的には思う。

そんなこんなで、飛び出してってもらいたい。サラブレッドは、まだまだ若い。そんなで、この文章を読んで辛口とカンチガイしないで欲しい。これは、期待ゆえのレビューなのだから。


*1:余談ですが矢野顕子『PRESTO』はどえらい名曲なのです。これも岸田繁プロデュース。生楽器4つ打ち。矢野顕子が4つ打ちを歌うとこうなる。良い。良い。