嘘じゃないてことを言い出せなくてそれでもまた同じように言うんだね。

スネオヘアーばかり聴いてるいちんち半。フォーク。民俗。大衆。落ちるボール。四畳半。洋食器。どうやら歌詩的には、一番後ろの意味で使われてるらしい。フォーク、といえばピロウズの『GOOD DREAMS』のジャケを自動的に思い出す。マグリッドの如くに、これはフォークではない、とでも題名をつけたくなるあのいちまいの画。フォーク。これも何かのメタファーなのだろうか。まぁいいかそんなことは。ともあれ、これはただのアオハルフォークロックではない。おそらく。ということにしとく。

そんなこんな、アルバムの名、『フォーク』-スネオヘアー

今までパイロットとなるシングルの出来の突き抜け感の欠如(大分前に出た「ヒコウ」は例外として)にかなり心配していたのだけども、そんなことは杞憂だったらしい。「ヒコウ」というシングル向けの、スネオ節全快の(変な)曲が先行してしまったから、過度に期待をしてしまったのだけど、アルバムトータルとして聴いたとき、「ストライク」「テノヒラ」という2曲の立ち位置は、アルバム1、2曲で聴き手のエンジンをかけさせる意味で、なかなか悪くない。

そんなこんな、1曲目、2曲目とまず加速、その後、さまざまな表情を持つ楽曲が並ぶ。妄想的な歌詩から(フォークソング的な?)内省的歌詩から、ほんのちょこっと開かれた歌詩まで。それをあくまで素直で素朴なメロで突き詰めて歌へと昇華してる。特にI-IVの進行の使い方が巧みだなぁこの音楽屋は、と思う。そこにさりげにM7thが混じったりすると、この寒い季節、グっとくるものがあるですよ。

ところが、割とのんびり聴いていたところに幾つかの事件が訪れる。スネオのCDは大体において後半タダじゃ終わらないことになっているのだけども、このアルバムの表情がある曲を軸にして急転することになる。その軸が、そのポピュラリティゆえにアルバム全体からは浮いて聞こえる「ヒコウ」だったりする。その前の曲、アルバムタイトル曲「フォーク」のBメロで事件は始まる。何処かで聴いたことある、と思ったら、この旋律て、調とコードと地声かファルセットかは違うかもだけど、ほっとんどヒコウのCメロと同じじゃん。てことに簡単に気付かされる。おまけに、母音の終わりが一部ヒコウCメロとかなり似通う。おかげで激しい既聴感に襲われる。したら次の曲を聴いて思い出す訳だ。この未知は何時か来た航路。Yes, i, No.

これ、ただの偶然じゃない、と付加読みしてみよう。つか、2曲並べてるのだからこれおそらく確信犯だろう。つまり、「ヒコウ」のCメロを前曲「フォーク」で引用することで、盤の中核となるポピュラリティとチカラを持つ「ヒコウ」を周囲の楽曲と連環させた訳だ(たぶん)。

「フォーク」の歌詩をみれば、件のCメロモチーフでこう語られる。「風向きのせいにして/どこまで行くのだろう」。まさしく「ヒコウ」を彷彿させるフレーズだ。しかも「ヒコウ」の吹っ切り感と対照的に、この曲の歌詩とオトはとことん内向的だ。同じ旋律にて表裏を弾こうとする歌い手の情念。つまりスネオは「そんなにも簡単に/嫌いになんてならないで」と「グッバイさよなら/もう今迷いはないよ」ということばを一種の通奏として奏でているのだ。たぶん。

で、その次の曲を聴くと、これはもっと事件だ。「The end of despair」。これほどに内向的な4つ打ち(途中16打ちになるけど)聴いたことない。「ヒコウ」をピークにしてラストスパート、折り重なる声とアコギと打ち込みの音で内向性はとんでもない勢いで昇華される。これは、<終わり>を勢いで吹っ切った後、また舞い込んだ内向性を歌った感じの曲だけど、曲全体を通じて、内向的なことばは音により徐々に開かれていく。終わりそしてはじまり。「この手でつかむもの/掲げた情熱が/いつか導くさきの光へと変わる」。なんだこの奇妙な開放感は。つか単純にこの曲の狂ったような(しかも割りと計算されてるであろう)打ち込み大好きだ。悪夢の中で踊っているような曲だ。悪夢を観て、悪夢を振り切った後は、悪夢と踊るのだ。踊り続けるしかないのだ。

で、で、その次は王道なバラードナンバーが続き、ラストの曲でまた圧倒される。唐突にロマンチックで短いリリック。そこで奏でられるスネオのファルセットは官能的であり、かつ何処か神聖に聞こえてくる。踊りは終わった。後は、過ぎた時間、はしゃぎすぎた場所で積み重ねた下らないコトバを受け入れるしかないのだ。時間は夜。曇った音響(エコー)は情念やらなにやらを全て通り越す。静かに幕は降りる。「夢を見ようね/ずっと/目を閉じれば/いつもNight Game/今日もGood Night」。そして、余韻を残したいと思ったら残す間もなく、突然曲は収束していく。気付いたら、また1曲目に心は戻ってる。あぁまた聴きたい、聴かせてくれ、その徹底したテーブルの前の世界観とやらを。


……騒ぎすぎた。前置きが長いのは悪いクセだ。とにかく途中まで「まぁまぁかな」と思って聴いてたら「ヒコウ」を折り返し地点にして偉くぶっ飛んだ気分になってしまった、て話だ。内向的ギターポップが好きな方には是非オススメしたい名盤です。1枚目はギター歪ませてはしゃぐ自分を、2枚目ではポップであることを追求したアルバムを出したオトコの3枚目。こう来たか、とちょっとやられた。良い感じに裏切られたですわ。最後の最後は、まぁ抑圧ぎみなアルバム全体の性向を開放するという意味合いをこめて大目に見ましょう。そらコンポも壊れる。*1尋常でなく、変なアルバムなのだ。おもろい。実におもろい。

*1:とかなんとか書いてて、ふと思いついたのだけど、あのシークレットトラックは「グッバイCCCD!」というメッセージソングてことなのかな?そらコンポも壊れるやな。レーベルゲート時代は水面下で色色あったんだろうか……?まさかCDリリース遅らせたのそれ?……ちょっと邪推でした。けどスネオならやりかねん。