歌うことは命がけではない、ただ声を合わせる快楽に身を任す。

タワレコにて『Sing A Song〜No Music No Life』-こっこちゃんとしげるくん、購入。タワレコ限定販売だぞ、25周年らしいぞ、気をつけろ。

正直、前も言ったかもだけども僕は「No Music No Life」というコピーには相容れない何かを感じずには居られないのだけども、このふたりに優しく歌わせるとつい口ずさみたくなるのは何故なんだ!!なんかすげ悔しいのに、名曲に出逢えた嬉しさにやっぱり口ずさんでしまいたくなる。名曲ですよ。やっぱCocco、休んで正解だったよ。休んだ方が良くまわってくことて、世の中いっぱいいっぱいあるんだ。折りよくしげるくんこと岸田繁は歌ってる。よく休んだら、きっと良くなるでしょう。「ガーネット」「セレストブルー」と共に2004年こっこ3大名曲と呼ぶことにした。僕がそう決めた。文句なんていわせない。歌うこととは生きることなのだ。違うか?まぁいいや。

ところでなんでこんなにオンガクに依存してる人間が「No Music No Life」てコピーを嫌ってるかと言うと、基本的には石田小吉の影響だったりする。イシダが「笑っていいとも!」とかいう国民的バラエティ番組でぶちまけ、現在の盟友黒沢健一をして「名言」と言わせしめたことば、「音楽なんてなくても生きていける。」というコトバに共鳴したからだ。そう、別段音楽無くても生命はそこにある。だけど、だからこそ重要なのだ。生きてくのに不必要なのに依存してしまうというその大きな存在。こんな存在を「No Music No Life」なんて単純なフレーズで括られてたまるか、と思う。あえて繰返す。音楽なんてなくても生きていけるさ。けど音楽がなければ少なくとも僕の日々は面白くもなんともなくなってくだろう。じゃぁあえて問う。音楽てなんだ?複数形を持たないその単語はたったひとつの単数形の「LIFE」と等価に語られる程に小さな存在なのか?そうじゃないだろう?と。

なんてことを言いつつも『Sing A Song〜No Music No Life』にはつい惹かれずにはいられない自分。要は影響されやすいのかもしれない。けど思うのだけど、ことばにすると陳腐なフレーズも、メロディとハーモニーを持った瞬間に素直に受け入れられてしまうという効果はあるのだと思う。とか思うのは、歌うたいとしての自分のある種の本能だろうか?

因みにイシダ名言のもうひとつに、似たような言葉でこんなのがある。「僕は音楽で世界が救えるとは思っていません。いや、そんなことは絶対に無理だと思っています。」しかし彼はこう続けたのだった。「が、音楽で人の心は救えるんじゃないかと。」911の後だったと思う。ライブで彼はこう言ったのだった。(参照元:某林檎園の跡地。お元気ですか?僕はなんとか大丈夫です。)

僕はあえてひとつの歌を、こう歌おう。「Good Music Good Life」。そう、これでよい。そしてそれらは「Good Dreams」に繋がっていくのだ。たぶん。こうして僕は収入が落ちようがなんだろうが、タワレコへと黄色い袋を求めて、足しげく通うのだ。こないだ数えたら我が6畳一間に30枚以上保管されてた。すごいぞ、タワレコ袋。