Song is Spiral anyhow ?

ウォークマン用のヘッドフォンを代えた。なんだかレコ屋の試聴機みたいな音を出す。乾いてて、低音はしっかりしてて、高音のヌケが良い感じ。前使ってたのは仕様的に中音域重視だったらしい。全然音の耳触りが違う。

夜道を爆音でSpiral Lifeの『Florish』聴きながら帰り道。同じCDなのに別の音のように聴こえる。NEROのギターはこんなに明瞭で押しが強いモノだったろうか。その割にヴォーカルの頼りない浮遊感はそのままで、車谷やイシダは今までとは別の色気を振りまいてたりして、聴こえ方は違えど根っこの部分は何も変わってないことに気づく。まぁ同じCDだから当然なんだけども。

当たり前の話だけど、音てのは録音方式や媒体や圧縮方式によってそれなりに大きく変わる。だけど、案外音の出口で大きく変わる、てことを言及するひとは少ない。いや、CCCDの問題とか音源圧縮技術の普及とかMDなんちゃらとかDVDなんちゃらとかなんとかCDとかがクローズアップされてる昨今だから当然と言えば当然だし、音の記録と出力て別次元の問題だ、て理屈も理解るのだけどもさ。けど、出力された音こそが人間にインプットされるのであって、デジタル/アナログ信号が人間にインプットされる訳じゃないじゃん。

同じ音でも違う音に鳴り得る。そんな当たり前で重要なことをヘッドフォンを代えるとふと思う。だけどそもそも人間みたものが同じにみえる訳でもないし、聴いたものが同じに聴こえる訳でもない。身体的な面でも精神的な面でも環境的な面でも。音は音、自分は自分、そうじゃなくて自分を含めた音こそが音だったりするのかもしれない。デジタル信号→(アナログ変換)→(電気信号の増幅)→出力→鼓膜→(鼓膜の振動の信号への変換)→(音刺激に対するシコウの増幅)……と、ここまで来てふと歌いたくなってきたりもする……→喉の振動→空気の振動→(マイクで集音)→電気信号への変換(録音)→デジタル信号への変換……

とまぁ延々ソング・イズ・スパイラル・エニハウ。この一連のプロセスこそ現代における、オンガク、て行為なのかもしれない。CDやスピーカ/ヘッドフォンは身体の延長。そいや最近のヘッドフォンが身体と密着性を増している気がするのはそういうとこに依るのかもしれない。……とかなんとか、なんだかマクルーハン的な眉唾な話になってきたのでこの変で留めとこう。つか、眠い。眠すぎ。