今更歌詞でテキスト論なんて読めたものじゃないよね。

「さよならまた明日言わなきゃいけないな、言わなきゃいけないな。」……とここらの大好きなフレーズをく口づさみながら歌詞カード見つつ聴いててふと思ったのだよ。

くるりの新譜にはなんでか歌詞の英訳が別添でついてくるのだけど、それをぼんやり眺めてたらこの部分、こうなってた。

So long, see you tomorrow/Which I have to say.

訳すと「じゃぁね、また明日、それが僕の言わなきゃいけない言葉さ。」て感じ?

で、ここでふと気付くのですよ。大好きだと言って憚らないこの曲の歌詞、思い切り誤読してたてことに。ぉーぃぇ。 つまり、ずっと僕はこうだと思ってた。「<さよなら、また明日。>言わなきゃいけないな。」でなく「<さよなら。>また明日、言わなきゃいけないな。」

似てるよでニュアンスが全然違う。英詞が岸田繁の歌詞の意味づけに則ったものと仮定するなら、岸田は「明日逢える予定のひとに対し<さよなら、また明日。>と言う」て刹那的な感情を暗に歌ってることになる。そこには<明日には逢える>てキボウが前提としてある。

この解釈に則り全体を俯瞰するとこの曲は成る程面白い解釈ができたりする。「本当の優しさがあれば全てを失える」と言う「僕」は結局「さよならまた明日。」と言って、明日への約束をしてしまう訳ですな。歌詞の流れから「全て」てのが「あなた」を含むことは明らかなわけで、これは僕の内面と実際の言動の矛盾を意味する訳ですよ。失ったのにさよならを明日言える訳ないじゃん。つまり、これは「葛藤の歌」てことになる。

ところが僕の誤読によると解釈は180度変わってくる。これは「さよなら」を再びもう一度、明日という日に言わなきゃいけない、てことを意味する。そうすると「全てを失える」という歌詞<内面>と言動との整合性がとれる。ふたりにとって今日は最期の邂逅な訳で、僕はそれを(「あなた」はどうだか知らないけど)強く覚悟している。それは「僕」が過去に経験した「幾つかの別離の言葉」を脳裏によぎらせ、「僕」の気分をそっとブルーにしてく。今日という日、グライダーが翔ぶ空に適わぬキボウを描きながらも、明日、「僕」は「全て」を失う。この生命観と虚無感のギャップ、更に言うと失い続けた過去と現在の繋がり(輪廻感?)がこの曲のキモだ、と思ってた。これは「決意」の歌なんだ、と。ロケオンジャポン風に言うなら「旅立ちの歌」。

さて、どちらが正しいのだろう?て考えると結局答えはない、つかどうでもいいようなモノに思えてくる訳で。結局この「決意」と「葛藤」を分かつものて実に曖昧なんじゃないか、と思う訳で。例えば8の字に翔ぶグライダーを見ただけで、「僕」のとる行動は全く変わってくるかもしれない。つまりはそゆことだろう。或いは、この両方の間に揺れる主体をこの緩やかに心地よい8ビートの中に岸田が確信犯的に含んだのかもしれない。実際くるりの曲の中で「自己矛盾」てのはひとつの主題て気もしなくもない。100個ある理由が数分後には何一つない、に変わってる。歌詞に意味づけなんて不要かもしれないけど、この<曖昧さ>つかフラジリティみたいなものには大きな意味があるよな気がしてならない。

実際さ、何が正解か、なんて今でも理解ってないんだよ。たとえ、それがただしいんだ、て思ってても。理解ってるのは、僕が間違っている、という事実。間違ってたでもなく、間違うだろう、でもなく「間違ってる」。意味は現在形に宿るし、それ以上でもそれ以下でもない。て誰か言ってた。誰だろう?