talk as singing.

お疲れ様でした。本日参考文献、若しくはWeb上で半直接的にお世話になった方々と顔を合わせることができた。正直半ば舞い上がっててロクに話をすることなどできなかった、ていうか、何を話してよいものか迷いあぐねているうちに時間が過ぎた、てのが正直なとこ。最近お酒飲めば飲むほど、自分の居場所が理解らなくなって混乱するのよ、て、これは飲んでも飲まなくても半ば一緒なんだけどもさ。

まぁそんな個人的な話なぞどうでもいいか。増田聡氏の講演+(太田桃子さん[浪曲]+吉野静さん[三味線])というのを悪名高きJASRACの主宰でやった訳だけど、これは思いの外良かった。目から鱗。実のとこことばと旋律を別個のモノとして扱うようにしてしまったのは近代音楽の過ちだったのかもしれない、なんて大それたことを全く考えなかった、という訳でもない、というくらい。日本近代と著作権、というテーマから、歌詞/旋律論の応用、或いはことばと歌の身体性に至るまで考えさせられることは山ほど。しかも無料。ほんと招待して頂いてありがとうございました。

それとは別の話で結構凹む部分はあったのだけども。まぁそれはマルチにいたとき感じたことと似たようなコンプレックスであり、今更どうこう強調するモノでもないのだけどさ。飲みに出かけても、なんでここにいるんだろう、て思わずには要られない訳だよ良くも悪くも。それはサラリーマンやってる自分にも降りかかるし、自分の無知を痛感する自分にも降りかかるし、別段自分を売りにかかろう、と余り思わない自分にもかかってくる。自分を買ってる人間がいる、てのは大変嬉しいことだし有難いのだけど、それをどう活かしていくべきか、て正直よく把握できてない、で、それで混乱してる現状な訳でありますわ。

いけないまた個人的な話になってしまった。つかどんなカスレポートでも良いからちょっと書きたくなってきた。てのは少しある。少しはあの「書きたいから書いた」て原初的衝動に近づきたい、そんな昨今。