いつか「僕」の方だったよ。

『a watercolor』-スネオヘアー をいちんち聴いてた。ごめん、今まで機会逃して買わなかった僕が悪かった、と言いたくなるくらいに脱帽ぎみ。絶望の望とはなんたるかをこれらの曲の表情は教えてくれる。

特に「セイコウトウテイ」から「アオイソラ」「スピード」へと至るその流れは必涙て感じ。ループするリズムに乗る美しい旋律は、空っぽであることを、空虚であることをキボウに換える。その辺りの感覚、何気に中村一義より祝祭的でありながら地に足がついてる。因みにこの辺りの「空虚」を地に足全くつかない状態でも魅力的に演ってしまったのがコンタクトだろうか。そしてそれをちょっと気取った感じで演るのがくるりやスパカ。共通するのはやはり「90年代」て文脈だと僕は論拠もなく思うのだけども。少なくとも21世紀の音楽、ではない気がする。つか21世紀に相応しい音楽なんて、一体何処にあるだろう?

余談になってしまった。ところでスネオヘア、ふと気付いたのだけど一人称の主語が極端に少ない。その代わりごろごろと「君」という2人称がある。宮台さん、僕は疑問に思うのだけど、本当に今の「90年代的」ポップミュージックに「主語」は必要なんですか?たぶん、1人称を語ろうとすればするほど、歌い手のことばは空虚になってく気がするですよ。そうじゃなくて、今語るべくは、……とまぁとりあえず疲れたんで、気が向いたら僕のソツロンの終わり2章くらい読み散らかして「何言ってやがるんだこいつ」と思ってみて下さい。備えます、「すぐに明日がやってくる」から。