ピアノよロックを語れ。

どうにもピアノとロックというのは親和性が高くない。どうしても、バンドサウンドといったら、主役にくるのはギターであり、それのファウンデーションたる分厚いリズムだ。バンドサウンドにおいてピアノや鍵盤といえば、あってもなくてもいいもの、装飾、上モノ、ちょっと和音とアレンジを複雑にするための構成要素、みたいな捉え方がされがち。ピアノが主役になるときは大体弾き語りかバラードか。まぁせつなさを強調する道具としてはよく用いられる。

けど、その実、ピアノてのは実にグルーヴィな楽器なのだ。ちょっとコード弾き練習すれば分かる。左手でベースラインを規定することができるし、たたき方次第で右手で8も16もシャッフルも刻める。その上に和音を重ねられる。楽器のその構造をみても分かるとおり、ピアノてのは弦楽器であり、同時に打楽器なのだ。ただメロウなだけじゃないんだぜ。そんな先入観がどうにも支配していて、メロウな使われ方が多々されるわけだけど。おかげで、なんかピアノが使われるギター主体のバンドサウンドで「やられた!」て感覚を覚えるものは少ないのですよ。邪魔をすんなよメロウ。て感じで大体キレイすぎるか、あざとすぎるかどっちか。*1

ところが、である。今年に入って、素晴らしいバンドサウンドと共にピアノを鳴らすアルバムがリリースされた、2枚も、だ。それが『Man Here Plays Mean Piano』-SUEMITSU & THE SUEMITH であり、『CACTH』-小谷美紗子

前者は名古屋の現役音大生だか卒業生だかによるパワーポップ全開のバンドサウンド。それに英詞が乗っかってる。素晴らしいのはその轟音バンドサウンドに溶け込み和音を組み立てる清涼感あるピアノ。ところがこれがただの清涼感では終わらない。時には凶暴なリズムをたたきつけ、時にはタイトにベースラインを刻む。ところがそういう「たたき方」がただの飛び道具的な感じではない。オトとして全然破綻してない。計算しつくされてる。うるさい感じがしないし、だけどとてもじゃないけど大人しいオトではない。バンドでピアノを使うと、こういう使い方があるんだよ、という見本市のようなアルバム。おまけに美メロ。僕の好きな元スーパーカーいしわたりによる日本語詩も殆どどうでもいいくらいに美メロ。コーラスラインも絶妙。何度でも聴ける、というか、聴いてる。

後者は、何時の間に10年目の活動となった小谷美紗子の最新作。ベース、ドラムとのトリオでピアノを小谷が演奏してる。今までの小谷美紗子って、プロデューサーに恵まれてたせいかオトは割と凝ったつくりをすることが多くてそれもまた魅力のひとつだったんだけど、前作『adore』からガラリとバンドサウンド主体に変えてきた。その分、歌とメロと歌詩がもだえるくらいがつんとストレートに来るようになってさ。前作もシンプルなサウンドに強烈な歌が乗っかった名盤だったのだけど、近作は(田渕ひさ子が参加してた)ギターも抜け、更にシンプルなサウンド模様となった。その分、曲のストレートさにも磨きがかかってる。その曲を下支えするのが、ピアノとリズム隊の絡み。リズム隊に負けないピアノのリズム感と和音の響きが聴けば聴くほど味わい深くてクールネスに溢れてて何処で耳を引き返したらいいのか分からなくなる。その間に小谷美紗子史上最高傑作のひとつなんじゃないかてゆう名曲「who」が挟まれたりして、これまた絶妙。

そんなこんなで、ピアノがロックを語る名盤がここに2つ。大御所矢野顕子も若手ベテラン問わず積極的にピアノと声を武器にセッション中。今、ピアノ・ロックの時代となっています。て、この落とし、Mの黙示録かいな。


*1:ほぼ唯一、SCUDELIA ELECTROって例外はあるんですが。『traeck』のピアノの使われ方や、「My Pray」はもうたまらんですよよしやんマジック。