追悼、SE。(3)*2

『Wine Chicken & Music』-SCUDELIA ELECTRO

実は初めて買ったスクーデリアのアルバムである。それも新品半額という憂き目の盤を「テープにはダビングしてあるけど、半額ならCD買うか……」と18歳のとき街のCD屋で捕獲したのが最初だ。始めは全く殆どピンと来なかったのだけど、1曲目のインストのいかれ具合(誉め言葉)「Pop Life」「It'll be nice」そして何よりシングルとしては聴いてた「Miss」の存在がでかく何時の間に哀聴盤と変わってったのだった。

石田小吉の離婚というアクシデントを経て生まれ出たせいで、他のアルバムとは毛色が全く違う。「暗い」アルバムと評されるが、むしろポジな面が割と曲に見られ、それがネガな部分を期せずして強調してみせているのがとてもせつない。オトは生オト志向が増している。音数はぐっと減り、その代わり強調されるのはイシダの肉声とハーモニー、そしてその肉声が物語ることばである。吉澤瑛師が殆どを手がけたであろうアレンジと、イシダの声の按配がなんともいえない空気感を生んでいてとても素晴らしい。

僕は基本的にはこのアルバムは「ヴォーカルを聴くアルバム」と思ってる。石田声を聴くためにある盤。まず、キーの高低が激しい。この時期ラジオで「歌うまくなったね」と富澤一誠に突っ込まれ、「自分に合ったキーが分かってきた。」と回答してたがそれはウソだろう。ほっとんど何も考えてないだろうキー設定に関しては、と思う。ほぼ半分ファルセット、若しくはファルセットでぶっ飛ばしたと思ったらオクターブ近く音域下げてAメロやサビ、なんて曲がごろごろ。スクーデリアが始めてカラオケに入ったのは「Miss」が最初で、「難しい!」「撃沈した!」とあちこちで連呼されていたけど、そんなの当たり前なのだ。いきなりまともにアレを歌える方がまともじゃない。そんな喉を持っている方がいたら声帯をとりかえてほしいくらいだ。

……話それた。とゆう訳で、ウラを返せば元々音域は広い石田のヴォーカル力が結果的にはフルに生かされてる音楽に仕上がってる。てことだったりもする訳だ。ヴォーカリストイシダの凄さを知りたくばこの盤を聴け、と思う。裸のイシダの声が聴ける。*1そしてそれに味をしめちゃうと、あのファルセットと妙な色気ある低音の虜になってしまうのだ。嗚呼おそろしい。

イシダは『breath』誌のインタビューで「感情をこめて歌ってる訳じゃない。ナルじゃない。音をとるのにヒッシなだけ。」という趣旨の発言をしているが、少なくともこの盤を聴く限りはその発言が大嘘にきこえる。まぁ或いは本当に感情入れてないのかもしれない。人間の声というのは不思議なもので、自分の音域のうち低い声で歌うより、高い声で歌った方が巧く聴こえたりすることが往々にしてあるからだ。声質が良かったりすると尚更のことで、伸びのある声質のイシダがヒッシに高音をとることで、何とも形容しがたいあの色気ある伸びのあるシャウトが生まれてくる。短い音符をリズムよく刻むのではなく、長音を伸ばした方がイシダの声はよく映える、という発見がこの盤に見出すことができる。そしてその特性はその後の「レインボー」「ミラージュ」「サマーレイン」等々の一連の美メロ曲に生かされることになる。微妙なビブラートも欠かせない要素である。音程が不安定で揺れているのではない。あれは紛れも無く「歌って」いるのだ。

歌詞やら何やらについてはあちこちで触れられているのであえて触れない*2。僕がどんなときにこの盤を聴くかもどうでもいいことなので特には触れない。とにかく、吉澤瑛師の造りだした音世界と、それに乗っかるイシダの色気ある声。それだけで十分という気がする。そういえば、吉澤とイシダがガチンコで作り上げたアルバムって、これが最初で最後だと思う。吉澤瑛師の音楽性の広さ(と妙さ)を体感して欲しい。だって、もう2度と、2人の共同作業の新曲は、聴けないのだろうからさ。たぶん。終曲の終曲「2人のイエスタデイ」のカバーのイシダのアコギと声に絡む吉澤のピアニカの官能性ときたら……嗚呼……。


なお、自分の音域ギリギリの高い声で歌うことで得られる効果ってのは、巧く聴こえること意外にもひとつある。それが、歌いきった後のカタルシスの違いてやつだ。でもって、それを聴き終えたときのカタルシスもまた、非常に大きい。イシダのセルフセラピーアルバムは、聴き手にも働きかけ、聴き手にとってのセラピーアルバムにもなるのである。ジャケットをセラピーな感じにしたら、或いはもう少し売れたのかもしれない。90年代最大の、エレクトロセラピーアルバム、として。まぁ、妄想だけど。


*1:ライヴの「Miss」は喉疲れてるせいかたまに、というか結構裏声で音外すけど。

*2:はるばる吉澤のいるロンドンまで歌詞を持ち込んだ石田が吉澤から「言葉のリアリティねぇんだよ」的に散々歌詞を叩かれ喧嘩寸前になって書き直しの繰り返しで、そのスパルタの結果があの歌詞だった、というのは有名な話?けど言うほどイシダがピンで作詞作曲した曲って実は多くないやね。むしろイシダの心中をえぐったかのような吉澤提供曲の方が色があっておもろかったり。