髑髏の帽子、浪人の銃〜著作権保護期間の延長問題を考える国民会議 第1回シンポジウム。

久々にちゃんとした有休とって、これに行ってもぐりこんで来ました11日。

著作権保護期間の延長問題を考える国民会議 第1回シンポジウム」
大体の概要→http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/12/news063.html

ここ最近はパクリ問題に触れることもなかったけれど、ようやく火がついて、久々に著作権のお勉強モード?と思いきや、実際は、渦中のひと、永遠の浪人、時間は夢を裏切らない/髑髏帽子はあごひげを裏切らない、こと松本零士先生を一目見たかったのでした。やー懇親会で50センチくらい隣にいたけど、アウラあったね。てゆうか、賛成派の象徴である松本零士が出る、という時点で、この国民会議活動の本気具合を感じて、会社休んでまで行く価値があると踏んだという感じ。こういうミーハー寄りなひとは他にも沢山いると思う。ともするとこういう会議って、反対派の集会になっちゃうことが多いきがするんだけど、それがなく賛成派反対派の遠慮のない意見の応酬があったのは、実際非常に良かった。

けどまぁやはり、そのひとの「立場」で権利延長に賛成か反対かってのはぱっくり割れてたと思う。ある指揮者の方が意見していた「持つ人と持たざる人」っていう観点はまさしく的確で、結局は既得権益の問題。色んな人がいて色んな「立場」があるので問題が複雑化してるけど、どちらかに譲歩すればどちらかが損する、という極めてシンプルな問題な気がする(経済的な話については)。それが感情に結びつくからややこしくなるのは、パクリをめぐる諸問題と一緒。それをあえて、当事者を目の前にして確認できたのが良かった。

あえて言うと、やはり、特に賛成派の言説で、経済原則とロマン主義が安易に結びつく風潮は非常に気になる。更に突っ込むと、主張の中に「国益」と「公益」の区別がなされていなかったり、「生存権(生きる権利)」と「財産権(稼ぐ権利)」を同一の観念として扱っていたり、と、語義の揺れがとても気になった。だけど、それに余りある説得力を、彼らのクリエーターとしてのアウラで有していたのは否定できない事実だったりもする。けっこ目から鱗でしたわ。あと、「蕎麦屋の子孫の経済的保護ためのそば屋法はないのに、著作権者の子孫の経済的保護ための著作権法はあるのって不思議じゃないですか?」という意見に対して松本先生が「そばやうどんと作品を一緒にするな」と怒ってたけど、蕎麦は作品ではない、なんていうと、料理も芸術と見なす海原雄山が(というか松本先生の同業者の雁屋哲あたりが)怒りそうよね。とかふざけたことも思ってしまった。これも実は「立場」(蕎麦に対するスタンス)の問題だったりするのである。

音楽をやってる身として気になるのが、2次利用の制約の問題。この裁判を起こした(http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50399360.html)指揮者の方の意見が一番身近なものとして受け入れられた。或いは平田オリザの意見もそう。演奏や演劇といった利用を前提とした再現芸術と、小説やマンガといった固定された「作品」(更に言うと、「作品」としてはつくられていない研究論文など)を同列に扱うことは本当に出来るのか、という根本的な疑問は湧いてくる。

まぁ色々聴いて思ったのは、結局、そのひとの持つ「心情(これが"信条"でもある)」で決まっちゃってるのだなぁということ。これは当事者によって全く感じ方が異なる部分であり、うまく客観的に測定する方法を使わないと、本当に感情論の応酬で終わっちゃうのかもな。けど感情論の水の掛け合いにならなかったのは、ほんと素晴らしいと思いました。議論は白熱したけど、過剰にエスカレートすることもなく、会場の拍手も暖かかったし。

懇親会で知り合い経由でちょこちょこと初見の方に挨拶し(流石に松本先生と会話するのは憚ってしまいました……)、それが終わったあとは、関西からやってきた増田聡さんや栗原さんらを囲んで8人の浪人で飲み。更に0時に店を出たあと、帰るひとは帰り、発起人である津田さんが飲みに合流。今度は6人の浪人でそのままシンポジウム裏座談会みたいな感じで時間経つのも忘れ朝の4時まで。めまいしそうなくらい楽しかった。

5時の始発までマックで時間をつぶし、東横でまっすぐ帰宅。流石に午前9時出社に間に合うように起きられるはずもなく、午前半休で半日つぶしてとぼとぼ会社に向かったのでしたとさ。あれ?宮仕えじゃん?僕、ひょとして浪人じゃぁない!?戦士の銃は眠りにつくと信じちゃいけないのですか!?